博士号所有者が偏在しないで遍在するのは良いこと

謎な展開の話。

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すべてに詳しいというのは個人では無理なので

膨大な量の知識が存在する2022年において、すべてに詳しいというのは個人では無理。なので、自分の専門分野に詳しく、かつ、周辺分野もうっすら知っているぐらいの人が、たくさん周囲に存在し、必要に応じて互いに尋ねあえるような社会が頑健だし、健全であると思う。この観点からすると、「博士号とったら大学に残って研究者」という固定観念はよろしくない。というか、この固定観念に則ると、大学が縮小している昨今、博士号とるひとはいなくなる(現にいなくなっている)。

これは博士号のみならず、芸術でも、プログラミングでも、スポーツでも同じ。そんなようなことを過去エントリーでも書いた。

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追記:サッカー好きがサッカー選手になれない話と一緒

学生個々人あるいは大学の経営層としてみれば、情報系学科に入ったのだから、入学者はすべて立派なソフトウェア開発者や研究者になる/なってくれることを期待しているのは当然の話。学んだことが直接にお金に結びつくとうれしい。

でも、社会全般で考えたら、情報系の一般素養(情報処理技術者試験の応用情報処理技術者合格ぐらいの知識)を持っている専業主夫/主婦、経営者、芸術家、事務職がいるのは良いこと。このような人たちは専門家と非専門家の橋渡しとなるし、情報系の知識を別分野に適用して、情報系知識の有用性をより高めてくれる可能性がある。

話変わって、サッカーを産業や文化だととらえたとき、サッカーに関わる業務は、実際にプレーヤーとして試合することだけじゃない。サッカーに関わる業務は、サッカーが好きでなくても、極端にいえばサッカーを知らなくても、行えるかもしれない。でも、サッカーが知っていれば、サッカーが好きならば、その業務を行うことに何らかのプラスな効果を与えるかもしれない。

金を稼げるプログラマーになれないならば、プログラミングを学ぶことに意味が無いかといえばそんなことはない。プログラミングは計算機が関わる様々な業務の一部でしかない。計算機が関わる業務を見渡してみれば、プログラミングをしないでも行える仕事は大量にある。でも、金を稼げるレベルでプログラミングをできないとしても、プログラミングがどういうことかを知っていれば、よりスムースに、より効果的に行える業務は結構多いはず。

このエントリーを書いたのはこういう認識があるから。サッカー好きがサッカー選手になれない話は、プログラミングに憧れている人が金を稼げるプログラマーになれないと一緒。でも、サッカー選手になれないならばサッカー好きになったり、サッカー選手に憧れたらいけないのかというとそういうことはない。金を稼げるプログラマーになれないならば、プログラミングを学ぶことに意味が無いかという話もそれと一緒。

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