スコッツボロ事件におけるジェーン・ニュートンの話は存在が怪しい

Xで以下のポストが流れてきた。

(Grok訳)
1931年、アメリカのアラバマ州で、9人の黒人少年が逮捕された。
2人の白人少女が彼らを強姦したと告発したが、証拠はなく、全員白人の陪審員だったのに、8人に死刑判決が下された。一番年少はわずか13歳だった。
刑務所で誰も彼らの面倒を見なかった。
そんな中、57歳の白人縫製女工、ジェーン・ニュートンが現れた。
新聞を見て、自分でバスに乗って刑務所に来た。それから毎週火曜日に彼らを訪ねた。
彼女は弁護士でも活動家でもなく、ただの普通のおばさんだった。
彼女はフライドチキンやコーンブレッドを持参し、鉛筆も持ってきて、ほとんど読み書きのできない子どもたちに自分の名前を書くことを教えた。
看守が彼女を「ニグロ好き」と罵っても、彼女はただこう返した。「私はクリスチャンよ。この子たちはお母さんに手紙を書くべきだわ。」
彼女は手紙の代筆をし、郵送を手伝った。誰かが殴られて目を失明したら、彼女は物語を音読して聞かせた。誰かの誕生日が来たら、ガラス越しに誕生日ソングを歌い、ケーキを贈った。
その後、最高裁判所が2度にわたり判決を覆し、6年間の長い闘いとなった。
ジェーン・ニュートンは1946年に亡くなり、家族を残さなかった。
少年たちはお金を出し合って彼女に墓碑を建て、碑文には一言だけ刻んだ:
「誰も来ないときに、彼女は来た。」
2023年、アラバマ州がついにこれらの少年たちに名誉回復を認めた。
最後に生き残った老人が、恨んでいるかと聞かれ、こう答えた:
「恨まないよ。ミス・ジェーンが自分の名前を書くことを教えてくれた。その名前で名誉回復の書類にサインしたんだ。それで十分だ。」

時には、真に運命を変えるのは、何か偉い人ではなく、
ただの普通の人が、もう一人の人間に優しくする心だ。

このポストにコミュニティーノートがついていた(この記事は現在未公開)。

スコッツボロ・ボーイズ事件の歴史記録には、ジェーン・ニュートンの存在や彼女の面会訪問の話は一切記載されておらず、その詳細は架空のものです。 アラバマ州は2023年ではなく2013年に彼らに特赦を与えました。 
https://en.wikipedia.org/wiki/Scottsboro_Boys

英語版のポスト

そのポストについていたコメント

(Grok訳)
オレン・モンゴメリーは亡くなった時43歳で、投獄される前には読み書きができました。興味深いですね、この情報はどこから入手したんですか?私が目にするのは、IGとFacebookでこのストーリーと一緒に、年配の白人女性と黒人の子供たち/若者たちのAI生成の写真の束だけです。

元のポストの画像をGeminiに尋ねてみると以下の返信だった。

質問:この画像がAI生成であるかどうか調べてください。
回答:この画像には、Google AI を使用して編集または生成されたことを示すデジタルウォーターマーク(電子透かし)が検出されました。そのため、画像の一部または全体がAIによって作成された、あるいは加工されたものであると判断できます。

en.Wikipediaの記事によれば、「全米共産党(CPUSA)および全米有色人種地位向上協会(NAACP)の支援を受け、この事件は控訴された。」とあるので、誰も面会に来ていないということはないと思う。
en.wikipedia.org

最初のポストを「すごい良い話だな」と読んだあとに、コミュニティーノートみて、スンとなった。画像生成が簡単になって「良い話」の信ぴょう性判断がどんどんと難しくなっている。出典明記しないのはやっぱ信用できないよね。

追記:別バージョン

同じ話の別バージョン。画像が異なっている
www.facebook.com

(Metaの自動翻訳)
1931年、アラバマ州スコッツボロで、9人の黒人のティーンエイジャーが貨物列車から脱車した。 2人の白人女性が彼らをレイプで非難した。 証拠はない 真っ白な陪審員。 8人が死刑判決。 13歳のロイ・ライトは、子供だったから人生を得た。
この事件は国際的なニュースになった。 しかし、キルビー刑務所の中では、少年たちは一人ぼっちだった。 女性1人を除いて:ジェーン・ニュートン(57歳)バーミンガム出身の白人仕立て。 彼女は新聞でそれを読んでバスに乗った。
彼女は弁護士じゃなかった。 彼女は活動家ではなかった。 彼女は毎週火曜日にビジターの部屋に座っていた。 彼女はフライドチキン、コーンブレッド、鉛筆を持ってきた。 彼女は彼らに名前を書くように教えた。 ほとんどが無文だった。
警備員たちは彼女を「ニガー・ラバー」と呼んだ。 "彼女は言った:「私はクリスチャンです。 君たち、母親を書くんだ。 ” 彼女は自分で手紙を郵送した。 オレン・モンゴメリーが刑務所の殴打で盲目になったとき、彼女は彼に読み聞かせをした。 アンディ・ライトが18歳になった時、彼女は彼にケーキを焼いて、ガラス越しに歌った。
最高裁判所は有罪判決を2回ひっくり返した。 6年かかった、4回の試練。 4人の男の子がついに解放された。 4人、何十年も服役した。 1つ目、ヘイウッド・パターソンは1948年に脱走し、バーの喧嘩で死亡。
ジェーンは1946年に亡くなった。 彼女は家族を残さなかった。 少年たちは彼女の墓石を欲しがった。 それは書いてある:「誰も来なかった時に彼女は来た。 ”
2013年、アラバマ州はスコッツボロ・ボーイズを失礼した。 最後の生存者オレン・モンゴメリー(95歳)は怒っているかどうか尋ねられた。 彼は言った:「いいえ。ミス・ジェーンは私に名前を書くように教えてくれた。 そうやって恩赦に署名した。 もう十分。