高野 秀行:謎のアジア納豆―そして帰ってきた〈日本納豆〉で以下のような例を読んだような。少なくともその村では…という内容だった。
とある本を読んでたら、郷土書にもでてくる料理が、たまたまおばあちゃんが三、四十年前に思いつきで三、四回試しに作ってみただけのもので、その話を聞きつけた地元メディアが何度も取材にきて報道したために事実として定着し、とある漫画にも採用されて…という展開が書かれてて、鼻水が出てる。
— 我乱堂 (@SagamiNoriaki) 2017年3月7日
― 高野さんが納豆旅行の末に行き着いたのが、日本の岩手県西和賀町で作られている「雪納豆」でした。
高野: 日本の納豆は後半に出てきますが、これはアジアの納豆を調べて行くうちに、日本の納豆はどうだろうと思って調べ始めたという時系列通りの流れですね。
最後の「雪納豆」は世界的に見てもすごく変わった作り方をしています。納豆はある程度の温度がないと発酵しないんですよ。でも、それを雪の中に入れるわけで、冷やしているんですよね。それが謎。また、ぜひこの本を読んでほしいのですが、作り方もかなり特徴的です。
― 「雪納豆」に辿り着いたところで、この本は終わっていますが…
高野: ところが最近知ったのですが、新潟の山古志村でも雪納豆が作られてあるという話を耳にしたんです。20年前にNHKが取材をして放送しているそうなんですよ。しかも、こちらもかなり独特な作り方をしていて、僕も取材をしなくちゃいけないなと思っています。
(『謎のアジア納豆 そして帰ってきた〈日本納豆〉』著者 高野秀行さん bestseller's interview 第80回
最初のツイートから始まる流れをまとめたTogetterの記事を読んで思い出したのは、竹内巨麿の話。その話を聞いた時の私の感想は以下の通り。
- 近代竹内文献の持ち主の竹内巨麿が文献の解釈をするのではなく、尋ねてきた人がその文献を解釈してアイデアを付け加えていくという話は、ダメなオープンサイエンスの例だなと思った
- 解釈者の要望に応じて、都合のよい事物を竹内巨麿が用意する。しかも、竹内巨麿自身がそのような事物を作れないと思われている。事物に信ぴょう性を与えている
- データの提供者が解釈者の要望に応じるときに科学的な話から偽書的話に変わって行ってしまう
- オープンサイエンスを実現するときは、ある解釈が提示されたときに「そういえば、公開していなかったのですがこういうデータもありました」というデータの追加を厳に禁止しないといけないというのがこの話からようわかる
- また、一方でうまくいったUGCの例であるとも思った。ある面白そうな解釈を発展させ、深化させるように場や機能、コンテンツの元ネタを提供していくというスタイル
- UGCの観点でみると竹内巨麿はCGMのシステムを構築する凄腕ディレクター&プログラマーのようにも感じる。