11/7と8に立教大学で行われている公開シンポジウム「近代日本の偽史言説 その生成・機能・受容」の7日発表(第1部と第2部発表の1つ目)を聞いてきた。大変、面白い発表だった。
- 日本学研究所:公開シンポジウム「近代日本の偽史言説 その生成・機能・受容」11月7・8日
- 近代日本の偽史言説レジュメ(第1部)
- 近代日本の偽史言説レジュメ(第2部)
- 近代日本の偽史言説レジュメ(第3部)
最初に
立教大学池袋キャンパス、第5号館の1・2番教室が会場。事前申し込み不要、参加費無料&テーマがキャッチーなせいか大盛況で教室に入りきらないぐらい。100人越えだったのじゃなかろうか。10分ほど遅れて会場に入ったので最初の発表は聞き逃してしまった。
あと、歴史コミュニケーション研究会で出会った方々も何人かいらしたが、確信がもてなかったのでご挨拶できなかった。
普段は工学部&計算機科学系の発表しか聞かないので、プレゼンテーションソフトウェアとハンドアウト(配布資料)の使い方が新鮮だった。基本はハンドアウトに沿って説明をし、プレゼンテーションソフトウェアは基本的にキーワードを示したり、絵を示したりするのに使うという形式だった。
三ツ松 誠 氏「神代文字と平田国学」
感想を箇条書きで
- 歴史の教科書に載っていた本居宣長や平田篤胤がこんなにアレな人だったとは!
- なんか、最近も戦前の日本や明治あたりの日本に理想を求めている人たちがいるような
- 反本地垂迹説のなんでも版を試みたのが平田篤胤一門らしい
- 話を聞きながら、これは韓国の「〜の起源は我が国」は笑えないと思った。そうしたら当然まとめでも言及されていた
- むしろ、日本の平田国学一派が韓国や中国に影響与えていないかどうか不安なところ
- 質疑応答でのやりとりで、本居宣長や平田篤胤のような自説を通すために歴史変えちゃうという姿勢は現在の「歴史学」から見ると学問じゃないが、その当時は一般的なものでじゃなかったのかという主旨の話は興味深かった。「国学者」という風に「学者」とついていても、今の「学者」の作法とは違うのでそこは注意しないといけないと思った。
- 神代文字の話で、鎌倉時代から漢字が来る前に日本独自の文字があったという主張があったというのは面白かった。いつの時代でもいろいろ考える人がいるということ。
- 平田系の西川須賀雄の話がすごかった。
永岡崇 氏「自己増殖する偽史 ―竹内文献の旅と帝国日本―」
感想を箇条書きで
- 昭和初期の新宗教の話はぜんぜん知らないなぁと思った。平井和正の小説内で触れられている程度の知識しかない
- 近代竹内文献(実際の物としての竹内文献)というが案外古いことに驚いた。名前だけは聞いていたが戦後の話かと思っていた
- 近代竹内文献のオリジナルは東京大空襲で焼失しているのね。偽書であったとしても、オリジナルがあればもっといろいろわかったはずなので残念
- 近代竹内文献の持ち主の竹内巨麿が文献の解釈をするのではなく、尋ねてきた人がその文献を解釈してアイデアを付け加えていくという話は、ダメなオープンサイエンスの例だなと思った
- また、一方でうまくいったUGCの例であるとも思った。ある面白そうな解釈を発展させ、深化させるように場や機能、コンテンツの元ネタを提供していくというスタイル
- UGCの観点でみると竹内巨麿はCGMのシステムを構築する凄腕ディレクター&プログラマーのようにも感じる。
- 出口王仁三郎と竹内巨麿の裁判戦略の違いについては、どちらも不敬罪から逃れるのが最優先であり、それに適した戦略をとっただけじゃないかというのが発表を聞いていて思った疑問だった
馬部隆弘氏「偽文書「椿井文書」が受容される理由」
これは熱かった。なんせ、椿井さんの仕事が細かい。
- 研究者も史料として使ってしまった偽書「椿井文書」
- 近畿地方(近江、伊賀、山城、摂津、大和、河内が舞台)限定の偽書
- 職業、偽文書作成って成立する可能性があるのね
- 新興富農の箔付けに家系図
- 村間の土地の所有権争いの根拠としての古文書
- 「1つの資料で判断するのはまずいので、複数を合わせて判断しましょう。コスト的に複数を捏造するのは割に合わないはず」という偽情報の基本フィルタリングメソッドを逆手にとった偽文書の準備手法。所詮はフィルタリングメソッドなので、最後は内容を専門家がちゃんと判断しないといけない
- 家系図に載っている人が連名帳や史蹟の古文書に登場。互いに他方の文書の信ぴょう性を高める働き
- 江戸時代は神社を祭っている神様の名前で呼んでいたため、本来の神社名が忘れられてしまったというのは非常に面白い話だった
- 馬部さんが椿井文書について発表した後でもいろいろな自治体の自治体史や教育の現場で「椿井文書」が使われているという困った事態
- 馬部さんが椿井文書に気づき、まとめた経緯は2時間ドラマ×2回でいける話だと思う。
- 椿井文書の作者、椿井政隆も年末の4〜6時間ドラマいけるんじゃなかろうか。偽文書で生活をたてるまで、精力的活動記(途中でばれて追われる活劇などをいれて)、晩年(ちょっと勧善懲悪的要素をいれて)&明治の椿井家没落の顛末。
- 馬部の椿井文書に気づいたあたりの話を新書にしてほしいところ
追記(11/9):馬部さんの引きの強さはいったい?
おわりに
今回感じたのは、「受容」に着目した時には、偽書そのもの、そして、偽書を肯定的にとらえている書籍が世の中に残っている必要があるということ。ある時点である文書群が偽書であるとわかったときに、文書群やその文書を肯定的に利用した文書群を破棄してしまうと、後世で「受容」観点から研究ができなくなってしまう。
こう考えると科学的合理性に著しく反する図書を図書館はどう取り扱っているのか問題や図書館の不適切な図書をどうあつかうのか問題は、なかなか難しい話。記録という観点からは残しておくべきだし、市民の啓蒙という観点だと破棄(あるいは閉架)すべき。さらには、ある文書群が偽書とわかったあとはそれの関連文書の価値はいちじるしく下がるので、本の除籍の話もでてくる。
血液型占いやEM菌、水からの伝言なども「受容」に着目した研究のためにいろいろな文書を記録して、保存しておく必要があるかもしれない。