講義の感想をブログに書くと「絶対権威者」に対する指摘が出る

Ohnoblog 2:「ヘドがでるけどナ」と書いた学生とそのはてなブックマークのコメントを読んだ。興味深い。

エントリーに対する感想

まず、大前提として件の学生さんとohnosakikoさんの間には最低限の信頼はあったというのが、コメントペーパーに素直な感想を書いていることからわかる。

「幼少の時代にそういう教育をさせれば良い。保健体育で男女の性関係しか出さないからそうなる。男同士、女同士での〜事も授業として教えて、子ども達に「これも常識の一部なんだ」とおしえこめば良い。一部ではなく広く」。

ふんふん‥‥と読んでいって、私は最後で何とも言えない気持ちになった。「はっきりいってヘドがでるけどナ」と書かれていたからだ。

この「ヘド」は、「(性)教育」に向けられているのか、それとも「男同士、女同士での〜事」に向けられているのか、両方なのか。他の映画感想の箇所を読んでも判断できない。

いずれにしてもその文面からは、「こういうこと書いておきゃあんたは満足するんでしょ。でも俺はヘドが出るんだよ、悪かったな」という呟きが聞こえてきた。

私もこの末尾の言葉から、その呟きを聞くと思う。私はohnosakikoさんのような攻めるテーマの授業をしたことがないので、同じ状況になったことはないけれども、こういうコメントをもらったらかなり凹むと思う。私ならば、凹む&怒り、さらに意見を聞こうという気持ちにはなれないと思う。少なくとも半年間は。

興味深いと思った点

興味深いと思ったのは、この学生がどういう気持ちや考えで件の発言をしたのかという点ではなく、以下の点。

  • 多くの方が授業における教員の絶対権力について指摘しているという点
  • 何人かは、教員自身は自分が権力者であることに気づいていないと指摘している点
  • 何人かは、権力者ではなく、一人の人間として振舞ってあげるべきであると指摘している点

これは、価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれないでいただいた意見と被る。意見の内容自体には特になんとも思わないけれども、似たような意見をもらっているという点が興味深い。まあ、たまたまかもしれないけど。

ある振る舞いや発言に対して、教員にとってそれが「残念な振る舞い・発言」であるということを説明しているのが共通要素かな。