指導をできるのは指導を受け入れてくれる相手だけ

AがBを指導するとき、必ずAはBの何かに制約をかける。AがBに対して暴力や権力による強制力を持たない限り、Bがその制約を守るかどうかはB次第。なので、へんてこな言い方になるけど、教員が指導できるのは、教員の指導をうけいれてくれる相手だけ。それ以外には指導なんてできない。

行為や言動への批判と人そのものへの批判を混同するから、批判が暴力的にとらえられてしまう。