今回もお邪魔してきた。ちなみに私はネット上ではnext49というハンドルネームで活動しているので、コメントいただける場合はハンドルネームの方にお願いします。
第一部:「ライトノベルと『歴史』 〜とあるライトノベル作家の現代文化史レポート〜」
ライトノベル作家の浅生楽さんのご報告。大変面白かった。浅生さんの解釈した報告を私がさらに理解した上での話だけどいろいろと腑に落ちた。私の理解は「前提知識不要で読めるから『ライトノベル』」というもの。これが一番の制約であり、いっぽうで、これだけしか制約がないというのが私の理解。
私は現在30代半ばなので、80年代を小学校〜中学校、90年代を中学校〜大学を過ごした。で、私がライトノベルを一番読んでいたのは中学校〜高校のとき。主な仕入れ先は地元の図書館と学校の図書室、古本屋。大学も電車で通学していたので、毎日文庫本2冊は読んでいたけど、本の調達元が図書館だったためライトノベルからは離れていた。なので、90年代後半から現在までのライトノベルはネットで話題になっているタイトルしかしらない。ちなみに、一番、最近購入して読んでいるライトノベルは境界線上のホライゾン。アニメ第一部のクライマックス見て、すぐに買いに行った。ファンタジー自体は、 英国パラソル奇譚とか読んでいるんだけど。
以下、発表を聞いての私の感想。
- 不完全なまとめながら、流れを整理すると以下のとおり。
年代 | 命名 | 媒体 | 例 | |
〜1960年代 | -- | 大衆歴史小説 | 主として男性中心:司馬遼太郎(戦国と幕末)、山田風太郎(伝奇小説) | |
1970〜80年代 | 世界系 | アニメ・漫画・小説 | 男性:戦記物、架空戦記・偽史(ガンダム、銀英伝、ナディア)。女性:池田理代子、山岸涼子 | |
1980年代〜 | 世界系、ゲーム的リアリズム(東浩紀) | ゲーム | コンピュータRPG、シミュレーションゲーム | |
1995年 | 世界系とセカイ系の分岐点 | アニメ | 新世紀エヴァンゲリオン | |
90年代後半 | セカイ系 | ライトノベル | データベース的消費(東浩紀):コミュニケーション手段としての利用 | |
-- | 日常系 | ライトノベル、アニメ | 「日常」がファンタジーに… | |
-- | 再帰的「世界系」 | ライトノベル | 定番コンテンツとしての「歴史」。歌舞伎や落語のように再解釈、再演を楽しむコンテンツに |
- 私のライトノベル観は、70年代〜80年代の「世界系=緻密に世界観を構築している系統の作品」。
- コンピュータゲームはRPGもシミュレーション(KOEIシミュレーション)も、どちらもしていたのでリセット、ループは概念として親しい。
- でも、スポーツしたり、スポーツで怪我したりしたのでリセットやループが虚構(異世界)でのお話であるというのも実感していた
- 怪我していた当時はジョジョ第四部のトニオのレストランが存在すればと心から思った。
- 90年代後半から00年代前半は、お金とチャンネル権と録画機器使用権がなかったのでアニメとライトノベルともに接触が少なかった。なので、セカイ系にほとんど接していない。セカイ系と言われてイメージするのが「世界の中心で愛を叫ぶ」のCMと平井堅の歌。
- 浅生さんのまとめによる90年代以降のコミュニケーションスタイルとして「『全体像』希求の断念」があり、「誰もが盛り上がれるようなコンテンツが人気に」なるというのを聞いて、「データベース的消費(東浩紀)」というのが腑に落ちた。ただ、データベースは単なるデータの集積でなく、データを整理し、再利用できる形で管理するものなので、どっちかというとデザインパターンとかフレームワークの方がデータベースよりも近い単語なんじゃないかと思った。
- セカイ系は、本家を知らなくても楽しめるコンテンツだから人気になったというのが私の理解。「この表現の元ネタはねぇー」という説明は確かにウザいと私も思う。
- ライトノベル研究序説とかライトノベルよ、どこへいく―一九八〇年代からゼロ年代までとか面白そう。
- 最近のライトノベル面白そう。
第2部:高校世界史の授業をみんなで作ってみる「世界史Aを題材に”さかのぼり世界史”について考える(2)」
面白い内容だった。
懇親会
以下メモ。
- 物語を展開するとき、読者にそれを提示する「視点キャラ」が必要
- 専門的な知識を物語の中で自然に読者に提示するために
- 感想:やっぱり、みんな面白話を大量に持っている。