参加記(3):博士課程で得た技能の再認識プログラムについての議論


私が参加したディスカッションは、サイコムが開催している若手理系人のためのキャリアセミナーで行われている「論理力の水平展開」というプログラム内容についてざっと紹介してもらい、それに基づいていろいろと議論をするというものだった。

主な議論の内容は私が覚えている限り以下のとおり。

  • 「論理力の水平展開」プログラムの説明
  • 社会のどこに博士のニーズがあるか〜リサーチツール.JPの紹介を例にして〜
  • 博士が共通して身につけるべき技能の標準化プログラムの是非
  • 博士はなぜ自分の専門外の分野へ飛び出していかないのか?
  • 博士課程で得た技能の再認識、ならびに再認識した技能と社会とのマッチング

「論理力の水平展開」プログラムの説明

感銘を受けたのでねっちり説明しようと思ったのだけど、私が書くよりも富田さんの説明を読んだほうが良いと思うので、その説明文へのリンクを紹介。

私達はこのキャリアパス多様化の促進を阻む主要因が、現存の大学院教育にあると考えています。その理由としては1つ目に自分のキャリアについて真剣に考える機会が欠如していること、2つ目にキャリアについて真剣に思考し行動するための方法論が欠如していることが、挙げられます。
〜中略〜
一方、二つ目の問題については、実践的なキャリアチェンジのための方法論が示されておらず、個々人で対応せざる得ないのが現状です。私たちサイコムキャリアプロジェクトは、この「満たされていない若手理系人のニーズ」を「キャリアを真剣に考える上での方法論の開発」と定義し、その実現向けて活動しています。

日経BTJ2008年2月号から5月号まで4回にわたり連載されているサイコムキャリアプロジェクトが、研究者のキャリアチェンジをサポートするクラスワークになっている。

「論理力の水平展開」はこのサイコムキャリアプロジェクトのプログラムの一つ。博士研究で身につけた「研究を通じた仮説の構築と実証方法」の中から専門分野非依存の部分を抜き出し、再認識し、その再認識した「仮説の構築と実証方法」を用いて、現実世界の問題に取り組めるように訓練しなおすのがその内容。

私も常々、博士号取得者の最大の武器は専門知識だけでなく、問題発見・解決能力であると思っていたので富田さんをはじめとするサイコムキャリアプロジェクトの試みに大賛成。私もこのプログラムを受けたい。そして、できれば、研究室に配属される学生にも適用できるようになりたい。

これに関連して、博士課程で得た能力の再認識が博士の就職問題や日本における博士の位置づけを考える上で重要になるのではないかという話になった。

社会のどこに博士のニーズがあるか〜リサーチツール.JPの紹介を例にして〜

サイコム事業として始めているリサーチツール.JPもご紹介いただいた。リサーチ.JPは、研究者と試薬・機器・容器の販売業者の双方のニーズをうまくとらえたサービス。

研究者としては、せっかく買ったのに自分がやりたい研究にはその試薬・機器・容器が使えなかったらがっかり。また、業者から提示されたサンプルデータがチャンピオンデータ(最もうまくいったときのデータ)だけだったりしたら、業者への信用をなくしてしまう。一方、試薬・機器・容器の販売会社は、自前でいかなる研究テーマにも対応できる実験サンプルデータをとる人材と設備を整えておくのは難しいので、これをアウトソースしたい(ある程度お金を払っても、そのお金に見合うだけ商品が売れればOK)。そこで、リサーチ.JPが販売会社をスポンサーとして、実験サンプルデータを協力者(ポスドクや大学の研究室)の協力を得て収集して公開する。

スポンサーが十分に集まれば、協力してもらっているポスドクの方や大学の研究室に謝礼を払うこともできるようになると期待できる。とても、良いサービス。詳しくはコンセプトのページを参照のこと。

企業における博士の雇用や大学や旧・国立研究所での博士の雇用を増やすのも大事だけれども、博士課程の学生やポスドクを勤める人が本業に関連する形で収入がアップできる仕組みを構築していくのも博士就職問題の重要なポイントだと思う。

失業者支援、障害者支援などとも重なるけれども、労働して対価を得ることは収入というメリットだけでなく、社会における自分の存在を肯定する一助にもなる。博士就職問題やポスドク問題を考えるとき、彼らの専門技能が社会にとって役に立つものであり、それは収入を得られるものであることを再認識できる環境を作ることはとても重要なことだと思う。

博士研究における専門分野にこだわらずにさまざまな進路を見つけることも重要だけれども、その専門分野も十分価値があり重要なことなのだと実感できる経験がないと、その専門分野の未来が危ういと思う。

博士が共通して身につけるべき技能の標準化プログラムの是非

論理力の水平展開プログラムの話から派生して、仮に博士が共通して身につけるべき技能があるとして、それを標準化プログラムとしてすべての博士課程の学生に受講してもらうことの是非が話し合われた。

意見として、そのような標準化プログラムを必修にした場合、独創的な研究者の輩出ができなくなるのではないかという懸念がでたが、私をはじめとする何名かは、真に独創的な研究者はどんなプログラムが課されてもそれを無視して独創的だろうから心配する必要はないと主張した。

むしろ、標準化プログラムができることにより、大学の外の企業や人々が博士の能力を評価しやすくなる(言い方を変えれば、値段をつけやすくなる)ので良いのではないかという意見があった。というか私が言った。

博士号取得者が今不利なのは彼らが何をできるのかがわからないため、値段がつけられない点にある。値段をつけられないのは、研究分野によってあまりにも環境、評価基準、何をもって研究とするかが違うために、ある分野の評価基準が別の評価基準に当てはまらない点にある。

しかし、どの研究者も科学的な研究手法で研究を進めているのであるから、当然、共通して持っている技能があるはずである。少なくとも、文書作成能力、文献調査能力、問題発見・問題解決能力、プレゼンテーション能力は共通の技能として身につけているはずだ(外国語に関しては分野によって違う)。

博士修了者は、最低限これらの能力を持っていることを保証できれば、キャリアの多様化に役に立つのではないかというのがこの話題での結論。ただし、工学部におけるJABEEやIT業界におけるITスキル標準など先行的取り組みがあるけど、これが社会に浸透しているかと言われればいまいちなので、博士でこういうものを作って役に立つのかといわれればにんともかんとも。でも、大学院での標準技能のクラスワークの必修化は重要なテーマだと思う。

日本は、欧米とは違いクリティカルリーディングと文章執筆、ディベート、プレゼンテーションが大学院進学前までに基本的な線で学ばれていないので、どこかでこれを学ぶ機会を用意する必要がある。今の研究技能の継承はほとんどの研究室において、口伝で技術を継承する武術のごとく、指導教員から秘伝が伝承されている状態と言って間違いないと思う。

博士はなぜ自分の専門外の分野へ飛び出していかないのか?

素朴に、博士の売りである問題発見・問題解決能力は、専門外の分野では雇用してもらってから2〜3年経たないと発揮できないため(どんなに優秀だとしても、あらたな分野の知識や常識、やり方を覚えるのに1,2年はかかるでしょ)。このため、専門外の分野においては自分の売りを選考の際にうまくアピールできないのではないかと不安を覚え、専門外の分野へ飛び出す気持ちが萎えてしまうのではないかという意見があった。私が主張したのだけど。

あと、研究所や研究室のボスにとって、優秀な人材を専門外へ送り出すインセンティブがないという点も指摘された。

博士課程で得た技能の再認識、ならびに再認識した技能と社会とのマッチング

ディスカッションの中で、論文投稿というのは一種のマーケティングの結果の行動であるという指摘も富田さんからされた。ある分野におけるシーズ(問題)とそのシーズとマッチするニーズ(その問題の解決を望む分野)を見つけ、製品を開発する(研究)。そして、開発した製品を顧客(学会や雑誌)に最大限にアピールし、適切に製品を売り込む(論文)。この行動はまさにマーケティングの一典型といえるとのこと。ちなみに富田さんの勤める会社では、論文を出すのは広報担当の仕事だそうな。

また、博士の売りとなる点に人脈も挙げられる。何かの問題を解決しなければならないとき、自分がその問題を解けない(部分的にしか解けない)としても、問題を解ける人にコンタクトをとり、その問題を解いてもらう(あるいは、問題解決のヒントをもらう)ことができる。文献調査も擬似的な人脈と考えても良い。ちゃんと人脈を築けている博士はオフラインOKWebのインターフェースといっても良い。

博士の就職問題を解決するためには、博士課程で身につけた能力を博士たち自身が再認識し、その能力が社会に求められる事柄にどう役に立つのかをわかりやすく説明する必要がある。しかし、博士たち自身は自分の専門分野にどっぷりと浸かってしまっているため、個人だけの力では再認識が難しい。そこで、サイコムさんや博士のキャリアチェンジ支援をしている組織の方々などの力を借りて、一度、専門分野から引いた視点で博士課程で身につけた能力の再認識をするのがベター。

しかし、現在は体系的な再認識プログラムの確立がまだであるので、これから再認識プログラムを確立していかなければならない。というのが本ディスカッションのまとめ。