正論と現実の間をどうやって埋めていくかが

自分の考えをまとめるネタにE.L.H. Electric Lover Hinagiku:事前に公表した選考基準以外の基準で選考してはならないの議論を使わせていただく。

事前に公表した選考基準以外のいかなる基準でも選考してはならない。
それが鉄則だ。

全くの正論。おっしゃるとおり。

しっかし、何故これが問題になるんでしょうかね。
選考基準にない基準で理不尽な選考をされるなんて、高校入試に限ったことでもないでしょうに。
実際の社会がそうなってるんだから、正論振りかざしたってしょうがない話でしょうよ。
まあ最近のネットではこういう正論、綺麗事系の意見が多いですが。

まったくおっしゃるとおり、選考基準にない裏の基準で選考されるというのも事実。

正論が現実から遊離しているとき、正論には何の意味もないのか?それとも正論に沿っていない現実が腐っているのか?面白くも新しくもないけど「みんなが不幸にならない範囲で現実を正論にちょっとずつでも近づけていくべき」というのが現実的な落としどころだと思う。

正論が述べられなければあるべき像が誰にも伝わらず、現実が語られなければ、正論とのギャップが見えない。両方とも語られるべきなので、正論を語る人を「世間知らず」と罵ったり、現実を語る人を「負け犬」と蔑んだりしてたらいけない。両方必要。でも、両方の意見がでた後は現実を正論に向けてちょっとでも変化させる方法を考えないといけない。

今回の例でいえば、公表した選考基準を使用したくなる動機は以下のどちらかであろうと思う。

  1. 使いたい選考基準が現在の社会からすると批判の対象になる基準であるため
  2. 公表した選考基準の裏をかいてくる人間がいるので、公表した選考基準の穴を塞ぐのにやむなく
  3. 公表した選考基準のみに従う場合と裏の選考基準を使う場合を比べたとき、裏の選択基準を使うメリットが裏の選択基準を使うときのデメリットと公表した選考基準のみに従う場合のメリットのどちらをも上回るため

上の動機を消してやれば正論に近づくので、正論に近づき、かつ、高校と受験生にダメージが少ない方法で上の動機が生じないようにしてあげればよいことになる。

3番目の話は、公表基準以外の基準を使った場合には、裁判で争うという風潮にすれば良いと思う(現在すでにその流れがあるのでOK)、1番目と2番目については、とりあえずは公表する選考基準にあいまいな条項を付け加えるのを許せばよいと思う。

たとえば、今回の話は平成21年度神奈川県公立高等学校の入学者の募集及び選抜実施要領1(PDF)によれば、前期試験は高校ごとに定められる「総合的選考にあたって重視する内容」にしたがって選抜することになっている。神田高校の総合的選考にあたって重視する内容(PDF)は以下のようになっている。

  • 調査票の各教科の数値に由来する点数:最高220点(上記PDFの数式aとbの点数)
  • 特筆すべき活動(課外活動含む)に由来する点数:最高160点(上記PDFの数式cとdの点数)
  • 面接の点数:60点

仮に受験者が勉強できない学生のとき、(教科はオール1、部活動は3年間所属していた、生徒会活動はしてない)のとき、神田高校の総合的選考にあたって重視する内容(PDF)にしたがって点数を計算してみると。

  • 調査票に由来する点数:a = 33点、b = 0点(関心・意欲・態度でAが一つもない)
  • 特筆すべき活動(課外活動含む)に由来する点数: c = 0点(特記事項なし)、d = 30点(部活動3年、生活態度良し)

となり、面接以外の点数で63点もらえる。この最低レベルの受験者で面接の比率は50%。中学側が調査票に下駄を履かせてしまうと、面接で点数を落とすことが難しくなる(狙った人材だけを面接点で落とせない可能性がある)。

もし、面接の点数が調査票に由来する点数と同じぐらいあれば(あと、もう少し面接の採点基準をあいまいにできれば)、高校側は自由自在に狙った人材だけを落とすことができるので、表の選考基準だけで目的を達成することができる。

私の提案方法は、単に裏の基準を表立って使えるように小細工しただけのように見えると思うけど、まさにそのとおり。全くの小細工というか、アリバイ作り。けれども、現実問題として高校側が入学させたくない人材像があるわけなので、高校にばっかりデメリットがあるというのは現実的でない。協同総合研究所:アメリカの求職・求人の仕組みと雇用差別禁止法(PDF)にあるように、正論の立場からみたら、正しくない行動をする場合にはリスクもちゃんととってもらう(ばれたら裁判によって負ける可能性がある)という状況にしたら良いと思う。

将来的にどうしたら正論と現実を一致させることができるかはわからない。教育工学、教育経済学、政治学、行政学あたりの研究者にうまい手を考えてもらいたい。