合理的配慮は組織にとって合理的でも個人にとって合理的でない

バニラ・エア問題を聞いた時は「事前連絡してよ」と思ったけれども、これはそう単純な話でないと認識した。

この件に関しての最初に朝日新聞の記事を読んだ。
www.asahi.com

Twitterなどで当該の客が事前に連絡していなかったというのを知り「事前連絡しないのか」とネガティブにとらえていた後に、次にいすみ鉄道 社長ブログを読んで「航空会社の方にも事情があるから、事前連絡した方が良いよな」と思った。
車いすで飛行機に乗る時は | いすみ鉄道 社長ブログ

で、Session 22での当該の客がメインセッションに出演して「なぜ、車椅子の人だけ事前連絡しないといけないのか。」という主旨の話を聞き、「確かに」と理解した。
www.tbsradio.jp

なんで、私がこの件で「事前連絡をしていない」ということでネガティブな印象を得たのかというのを振り返って考えてみると、私自身が合理的配慮の提供者になることがあるから。
「教職員のための障害学生修学支援ガイド(平成26年度改訂版)」で紹介されている合理的配慮の事例は、組織としてはなんとか対応できても、個人が対応するとなると即時対応がかなり難しいものも多い(たとえば、講義資料やノートの点字化など)。個人で即時対応できないときに、障碍者の方が受け入れられるようなサービスを提供できなかったときを考えると、正直怖い。なんでかといえば、どうしたって対応できなかった自分が悪者扱いになるだろうから。

今回の件で「事前連絡の有無」がどうしても気になったのはこの認識があるから。もちろん、合理的配慮の肝の部分は即刻「できません」と拒否するのではなく、双方で話し合って納得行く解決法を探していくということにあるのだけれども。

以上、反省を込めてメモ。