2月3日(日)に行われたWikipedia Conference 2013に参加&登壇してきた。
プログラムは以下のとおり
ハッシュタグ#wcj2013のまとめ。
min2flyさんのまとめ
- かたつむりは電子図書館の夢をみるか
- 「Wikipediaの現在の課題と、どのようにして一緒に日本のWikipediaコミュニティをサポートするか」&「エンサイクロペディアとアーカイブの結婚:ウィキペディアから新しい大学は生成するか」(Wikimedia Conference Japan 2013参加記録その1)
- 「国会図書館のサービスを使おう」「学術情報サービスCiNiiとその周辺」(Wikimedia Conference Japan 2013参加記録その2)
- 「区立中学でWiki体験:校内専用Wikiを授業で」「文化教育施設の被災・救援・関連情報まとめサイト:saveMLAKウィキへの引き込み大作戦」「ウィキペディアの間違いを直すための情報探索」(Wikimedia Conference Japan 2013参加記録その3)
以下、私の覚書。
招待講演1: Jay Walsh: The State of Wiki
なんと同時通訳付き。Wikipediaの影響力の話しと、現在、財団が認識している問題点について。
- 285ある各国語wikipediaの中で日本は9番目に記事数が多いWikipediaプロジェクト
- モバイルサイトトラフィックは2番目に多い
- 財団が認識している問題
- Wikipedia Zero:すべてもモバイル端末で、無料で Wikipediaを。
- 編集者を支援するツールの開発(まずは英語版から導入中)
- 助成制度:Wikimedia関連の企画へのWikimedia財団からの助成
頭を殴られたような気がしたのが「タブレット端末の普及によりWikipediaの編集がどうなる?」という部分。Input用の端末としてはタブレット端末で平気というか、むしろそちらの方が使い勝手がよいけれども、Output用の端末としてみたとき、タブレット端末は大丈夫なのかという不安。
文書によるコミュニケーション(午後の新井先生の発表にいう「書記言語を用いたコミュニケーション」)が続く限り、文書執筆は必要不可欠なスキルなのに、Output用の端末がタブレット端末になるという現状。これは社会として大丈夫なのか。結構大きな問題のような気がする。
吉見俊哉: エンサイクロペディアとアーカイブの結婚 〜ウィキペディアから新しい大学は生成するか〜
いろいろと反論したり質問したくなる講演だった。もうちょっとゆっくり聞きたい内容。
- 16世紀(のヨーロッパ)と21世紀の世界が似ているという話
- 知識の作家性:「誰かの知識」と「みんなの知識」
- 知識の構造性:さまざまな概念の内容や事象の記述が相互に結びつき、全体として体系をなしている状態
- 知識の歴史性:現在の得た事柄を過去の知識に対してぶつけることで、新たな知識を得る
- ウィキペディアは上記の知識の3つの性質を考慮しているか?という問い
- エンサイクロペディアは運動であり、書物としての百科事典はその一部 or 結果
- ギリシア語の語源「ククロス(円環)」+「パイドス(学び)」。
- 文化運動としてのフランス百科全書
- 西周の訳は「百学連環」で意味は「童子を輪の中に入れて教育をなすの意味」。本であるとは言っていない。
- 吉見先生曰く「『研究会』が百学連環に近い」
- 百科事典を出した出版社のほとんどが倒産している。損得を度外視させるパワーがエンサイクロペディアにはある。
- エンサイクロペディアは集合知なのに対して、アーカイブは記録知。
- 知のリサイクルによる価値創造が行える社会のために、アーカイブ(時間を貫く縦軸)、エンサイクロペディア(ネットワークによる横軸)、大学(縦軸と横軸を扱える人材の輩出)の連携が必要。
- 日本におけるアーカイブの問題点
- どこに何があるのかわからない
- 法整備がいまいち。特に著作者&所有者不明の著作物の扱い
- 人員を配備できない(next49注:すなわち金の問題?)
知のリサイクルによる価値創造が行える社会のために、アーカイブ、エンサイクロペディア、大学の連携が必要という文脈で、吉見先生はWikipedia=エンサイクロペディアとし、Wiki-archive、Wiki-universityがあり得るか?という問いを発していた。私としてはこのとき「Wiki」という言葉に何を込めているのかを質問したかったが、質問できず残念だった。
アーカイブの問題点としてどこに何があるのかわからないというものがあるが、これを解決する方法として「Wiki〜」、すなわち、不特定多数による自分の知っている&できる範囲での事柄だけを行う分散処理が有望なのではないかと思った。
エンサイクロペディアの由来を知ることができたので、それだけでも面白い講演だった。
新井紀子:ウィキペディアの記事のような日本語を書けるようになろう
- 読み・書き・そろばんはもうリテラシーじゃないと感じる。なぜ?
- それは科学・技術の発展の成果では?
- 読み・書き・そろばんの起源は徴税業務からでは?
- 一般市民のリテラシーは近代の労働力教育のためのもの。だから読み・書き・そろばんでよかった
- Web時代到来。書記言語を用いる限りは、個人の情報発信のためのインターフェースが我々のリテラシー感を左右する
- Web 2.0以後は、CMSのインターフェースがリテラシー観
- 双方向、集合知、書記言語&音声&動画のミックス
- 書記言語の取り扱いはハードルが高い(数学苦手な人が数式でコミュニケーションする場合と同じような意味)
-
- 言語化はむずかしい
- CMSを用いた協調学習がうまくいかなかった→言語化自体にハードル
- 従来のオンライン学習・オンライン活動モデルは言語で表現する能力を獲得済みを想定
- 言語で表現する能力を学ぶところから、オンライン学習・活動を始めないといけない
- Web社会におけるリテラシーには言語で表現する能力が不可欠
- 自分の考えと言語で表現したものの差を少なくするのが言語化能力
- 授業設計と学習モデル
- 集合知の作成を経験させる
- 一人一人が必ずコンテンツを作成しなければならない
- 例:修学旅行のガイドブック作成(最終的に第三者の目にさらす)
- 一人前である扱い(安っぽくない見栄え)
- Wikiに良い記事を作る認知負荷は高い
- タイプの認知負荷高い
- 良い文章を書く認知負荷も高い
- なので、小学生の場合は別々に行わせる
- 編集活動はオフライン(紙ベース、顔つき合わせて)行う
- クラスの外に伝わる文章へのブラッシュアップ
- 観点(チェックポイント)を与えて、互いにチェックさせる
- 最後にCMSにタイプする
数学の専門家たる新井先生が国語の教科書の策定に携わっていたり、言語化能力の必要性に言及しているのがとても面白かった。新井先生定義の言語化能力「自分の考えと言語で表現したものの差を少なくする」が必要であるというのは、学生のレポート採点や卒論・修論・博論指導をしていて、その必要性を私も感じている。
そして、小学校における実践例の紹介というのが、私の知っている範囲の大学生にも適用できる事例で思わず苦笑。これは根が深い。
Web社会においては書記言語を用いたコミュニケーションをする限りは、リテラシーとして言語化能力を身に着けなければいけないという新井先生の主張とJay Walshさんの講演であったPCからのタブレット端末への移行を合わせると、言語化能力の教育は、社会として意識的に行わないと大変なことになると感じさせられた。
Ninomiy: 3.11直後のウィキペディアへのアクセス状況
発表資料が公開されているというURLのメモをミスした。記事のアクセス状況の可視化は面白かった。それにしても、記事のアクセス上位に関する言及が出るたびに「1位 AV女優一覧」というのはどうにもこうにも。私が作ったわけじゃないけどちょっと恥ずかしい。
佐藤翔:Wikipediaと学術情報利用:オープンアクセスの時代に広がる学術情報流通とWikipedia日本語版への期待
かたつむりは電子図書館の夢をみるかの佐藤さんの発表。発表資料は以下で公開されている
衝撃的だったのはWikipediaの信頼性に対する学生へのアンケート。過半数の学生が「Wikipediaは信用できない」と認識しているというのが予想外だった。教育の成果なのか、それとも、そう認識していても時間が足りないからレポートに利用するのか。
山川優樹:応用力学 Wikipedia プロジェクト
土木学会応用力学 Wikipedia プロジェクトの実践紹介。編集合宿などがありとても素晴らしい取り組みの紹介だった。
河村 奨:「区立中学でWiki体験」
中学校での実践報告。15分報告ではもったいないテーマ。
こちらの実践では、下級生(後輩)に自分の作った記事を見られるというのが良い緊張感を生みだすポイントみたい。あと、新井先生の発表とも合わせて、教育における実践では、コンテンツはプアでチープでも、見栄えはチープ(安っぽい)でない、素人っぽくないというのが重要な気がする。懇親会でこの話をしたら、Kindleなどでより本物っぽい見栄えを作ることはできるのではないかというヒントをいただいた。
原田隆史:ウィキペディアの間違いを直すための情報探索
授業で「間違いのあるWikipediaの記事を見つけよ」という課題を出した時の事例を4年分ご紹介いただいた。
別件で、懇親会のときに原田先生の授業の企画で学生にITリテラシーの教科書を作らせたら、スマートフォンの活用法が第一章になったというお話を聞いた。教育における実践では、コンテンツはプアでチープでも、見栄えは本物でないといけないという究極の事例に感じる。
裏番組
B会場の発表が聴けなくて残念。資料公開されている方をリンク。
懇親会
いろいろと面白い話をお聞きできたのだけど眠いのでここまで。気力があれば後日追記する。
おわりに
誘っていただかなければ参加しなかっただろうイベントだったので、誘っていただけてよかった。会費2000円とるイベントで200人近く参加者があったというのも素晴らしい。スタッフのみなさん、お疲れ様でした。