「情報学ブログ:科学はホメオパシーを否定できない」に賛同できない点

主な論点は以下のとおり。

  1. 科学者たちは「物質が物質以外のものを記憶していない」という結論を導くために、「物質が物質以外のものを記憶しない」ことを前提に議論をおこなっている。これは、「論点先取」と言われる論理学上の誤りを犯してしまっていることになっている。
  2. 「物質に物質以外のものが記憶される」ということを否定しないかぎり、ホメオパシー信奉者を論理的に説得できない
  3. 科学と疑似科学には「説明能力の違い」について圧倒的な違いがあるから、科学者が疑似科学の信奉者を説得するために語りかけるとしたら「科学も疑似科学も、所詮、世界を説明する理論の一つに過ぎない。しかし、科学の方が圧倒的に説明能力が高いのだから、私たちは科学の方を信じるべきではないだろうか」と説得する方が良い
  4. 疑似科学に関する問題が起きるのは、科学者と疑似科学の信奉者の両方が、「科学は世界を説明する理論の一つに過ぎないが、他の理論に比べて説明能力が非常に高い」ということを正しく理解していないからにほかならない。

1つ目の論点には賛同できない。二重盲検法の能力を間違えてとらえているため。2つ目の論点については賛同する。けれども、それは悪魔の証明なのでどうしようもない。3つ目の論点については、そういうアプローチがあっても良いと思う。4つ目の論点に関しては、疑似科学の定義にもよるけれども、菊池誠さん定義のニセ科学と同様の意味であるならば、賛同できない。問題が発生しているのは科学の権威的側面を利用して科学的でないことを科学的にみせようとすることが原因であるため。

二重盲検法の能力

一般に、こうした実験では、「患者の思い込み」や「治療者の思い込み」が治療結果に与える効果(プラセポ効果)を排除するために、二重盲検試験という方法が使われます。二重盲検試験では、患者はもちろん、患者に直接接する治療者(医師や薬剤師)も、プラセポを与えたのか実薬(この場合はレメディ)を与えたのか分からない状態にして実験が行われるのです。
情報学ブログ:科学はホメオパシーを否定できないより)

正しい説明だと思う。代替医療のトリックでも下記のように説明されている。

しかし、もしも患者と医師の両方が、投与されている薬は偽者か、効果の期待される本物の薬かを知らなければ、試験の結果には、どちらの期待も影響しない。このタイプの公正な試験は、二重盲検法と呼ばれている。
代替医療のトリック、p.92 より)

ところが、二回目の説明では大きく変わっている。

なぜなら、そもそも二重盲検試験というのは、ある「科学的」な前提に立っているからです。「治療に影響を与える要素が、物質的なものだけであれば、治療には物質の性質だけが影響する」。言い換えれば、物質は物質であり、気持ちとか感情など、物質以外のものが記憶されることはないということが、二重盲検の前提になっています。

これがおかしい。二重盲検法の特徴は「患者の思い込み」や「治療者の思い込み」が治療結果に与える効果(プラセボ効果)を排除する点にあり、試験対象のものが科学的なものか、呪術的なものかを選ばない。代替医療のトリックの第1章でずっと説明されているけれども、メカニズムでなく、効果(事実)を見るのが二重盲検法の目的。

二重盲検法プラセボ効果だけを取り除くものであり、「言い換えれば、物質は物質であり、気持ちとか感情など、物質以外のものが記憶されることはないということが、二重盲検の前提になっています。」ということはない。人の思念や他の物質の記憶が影響して、効果がでるのであれば二重盲検法でも効果がでるはず。もし、「患者の思い込み」=「気持ちとか感情など、物質以外のものの記憶」であるならば、それはプラセボなのでしょうがない話。

なので、科学者たちは「物質が物質以外のものを記憶していない」という結論を導くために、「物質が物質以外のものを記憶しない」ことを前提に議論をおこなっている。これは、「論点先取」と言われる論理学上の誤りを犯してしまっていることになっているという主張には賛同できない。別に「物質が物質以外のものを記憶していない」を前提に使っていないので。

ホメオパシー信奉者を論理的に説得するということ

リンク先のエントリーの基本的な主張は、前提が異なっている上に「正しさ」の基準も異なっているのであれば、それぞれの前提と基準を用いてそれぞれの「正しさ」「間違い」を論じていても、他方は納得しないだろうということ。それには賛同する。

一方で、ホメオパシー信奉者を論理的に説得するために「物質に物質以外のものが記憶されることはない」を科学側が証明しなければならないというのには賛同できない。というのは、これは典型的な悪魔の証明であり、世の中に存在する物質すべてについて上記を証明しなければいけないから。

この話は、水からの伝言についていろいろと議論されたときに田崎晴明さんが「水からの伝言」を信じないでください:「水からの伝言」が事実でないというためには、実験で確かめなくてはいけないのでは?としてまとめてくださっている。

もし、「物質に物質以外のものが記憶される」のであれば、今まで蓄積されてきた再現可能な科学的事実といろいろと不整合が生じるはずで、その不整合をどう回収するかは、「物質に物質以外のものが記憶される」を主張した側がおこなわなければならないと考えるのが科学の方法論。この方法論に則り、科学者(研究者、技術者)は、日々、自分が提案した仮説と従来の科学的事実との不整合について説明をし、納得を得ようとしている。

ホメオパシーが現代医療と整合性を持たせたいのであれば、自分達の理論と現代医療の根幹をなす二重盲検法との間に整合性をもたないといけない。

一方で、ホメオパシー信奉者を論理的に説得することのコストは高いので、それよりも、ホメオパシーを信奉するに至った個人的経緯を解きほぐしてあげたほうが、ホメオパシー信奉者をホメオパシーから引き離すのには有効なように思える。

疑似科学に関する問題の発生原因

科学というのは「世界を説明する理論」の一つです。本来、「世界を説明する理論」には無数のものがあります。超能力、幽霊、UFO、とにかくさまざまなものが世界を説明してくれるわけですが、科学は、こうした「世界を説明する理論」の一つに過ぎないのです。しかし、その説明能力が異常に高いことが科学が科学である理由です。
情報学ブログ:科学はホメオパシーを否定できないより)

疑似科学に関する問題が起きるのは、科学者と疑似科学の信奉者の両方が、「そもそも科学って何なのか」をきちんと理解していないからにほかなりません。科学者が、また私たち一人一人が科学の本質を正しく見極められるようになったとき、初めて、ホメオパシーのような疑似科学をめぐる問題を、誰もが納得できる形で人類から消し去ることができるのではないかと思います。
情報学ブログ:科学はホメオパシーを否定できないより)

上記の記述より、リンク先エントリーの著者は、疑似科学に関する問題が起きるのは、科学者と疑似科学の信奉者の両方が、「科学は世界を説明する理論の一つに過ぎないが、他の理論に比べて説明能力が非常に高い」ということを正しく理解していないからにほかならないと述べていると考えられる。

疑似科学の意味が菊池誠さん定義のニセ科学であるならば、私は別の意見がある。

つまり、ここでは「ニセ科学」という言葉を”見かけは科学のようでも、実は科学ではないもの”に限定して使うことにする。「見かけ」という以上、誰から見てのものかが重要だが、ここでは科学の専門家ではない人たちを念頭に置いている。普通程度の科学的知識を持つ「一般市民」(こういう言葉がいいのか悪いのかはわからないが)には科学と区別がつかないが、専門家から見れば荒唐無稽なものという程度の意味である。
「ニセ科学」入門より)

ニセ科学に関する問題が起こるのは、科学でないものが科学を装うから。なぜ、科学を装うかといえば、科学の権威主義的側面を利用して、知識が少ない人を騙そうとするため。ここが、問題。ホメオパシーは完全にニセ科学の条件を満たしている。(参考:ニセ科学を問題にするとはどういうことか

科学を装わないのであれば、どんな世界を説明する理論を使って世界を認識していても、科学者や科学を利用する人たちからは「それは科学的でない」などとは言われていないと思う。

ニセ科学批判をする人は、「科学のお墨付きを貰っている」ということを入口にして、ニセ科学を信じてしまう人を防ぐために、「〜は科学ではない」と言うことを述べているのがほとんど。それは、しばらく、ニセ科学批判をしていると、「本当に信じている人の考えを変えるためには、『〜は科学ではない』というだけでは不十分である」と思うようになるため。

ネット上でのホメオパシー批判も基本的には「科学のお墨付きを貰っている」ということを入口にして、ホメオパシーを信じてしまう人を防ぐための方法の一つ。

おわりに

定期的にこういう意見がでて、誰かが異論をとなえるというのが風物詩なので、今回は私が異論を唱えてみた。