ひすとり編集会議参加記 2:ドラマチック西洋史

ひすとり編集会議参加記の続き。

博士ネットワーク@つくばでsaisenreihaさんにプレゼンした「ドラマチック西洋史」を再び説明した(歴史研究の成果を世間に還元するには?)。

基本的考え方

ネタが枯渇しつつある娯楽クリエーター(小説家、漫画家、脚本家、ゲーム開発者)と面白ネタをたくさん抱えている歴史学の研究者を結ぶルートを作る。娯楽クリエーターや非専門家からすると、その研究分野において常識な話、知っていて当たり前の話が最も欲しい部分であるので、それを娯楽クリエーターや非専門家に提供してもらう。

一言でいえば、歴史学の研究成果のバザール。

何をしたいか?

イベント名は「ドラマチック西洋史!」(参加研究者の分野によって〜史は変わる)。

娯楽クリエーター(小説家、漫画家、脚本家、ゲーム開発者)やその編集者の人たちをお客さんとし、1日か2日のイベントとして、歴史学の研究者を5〜10名くらい集め、一人持ち時間1時間〜2時間で、自分の研究分野における面白いエピソード、面白い風俗、面白い道具や食べ物、服装を何故それが面白いのか込みでプレゼンする。また、それに興味を持ったときに何の本を読めばよいか、誰に話を聞けば良いか、資料はどこで手に入れられるかも紹介する。

もし、娯楽クリエーター養成学校とタイアップできるならば、そのイベントで紹介されたエピソードや風俗をネタにした作品間でコンペ(品評会)を実施し、優秀作には何らかの特典(アニメ化、雑誌掲載、単行本化)などがあればなお良い。

なぜ、こんなことを考えたのか?

直接的な理由は、博士ネットワーク@つくばにおいて、Academic Resource Guideの岡本さんとミュンスター再洗礼派研究日誌のsaisenreihaさんの雑談「歴女ブームなのに、日本歴史学会はなんで歴女を学会に取り込まないの?300人の女子が学会にいればそれだけでいろいろとアピールできるのに」を聞きつけたこと。そして、ミュンスター再洗礼派にまつわる面白い話を聞いたことから。

また、間接的な理由としては、昨年末に行われた事業仕分けで思い知った「役に立たないものへの冷たいまなざし」。自然科学は工学の基盤として「役に立つ」と主張でき、工学は産業の基盤として「役に立つ」と主張できる。じゃあ、西洋史学は、何の役にたつ?

「役に立つ」というのは常に「誰にとって」「何の目的で」「どの程度」が明らかになって初めて意味がある単語。なので、西洋史が我々にとって面白い話であるならば、「われわれにとって西洋史学は、われわれの人生を豊かにしてくれる娯楽の基盤として役に立つ」と言い切って良いのではないかと考えた。また、あわせて「娯楽と直接に結びつくならば学問ではない」というような頭の固い考えも蹴っ飛ばしたかったという理由もある。

この話はどこにうまみがあるのか?

この話の登場グループは研究者、娯楽クリエーター、娯楽クリエーターを支える編集者、娯楽の消費者の4者。それぞれの現状とこの話のうまみを検討する。

研究者にとって

「『娯楽の基盤としての〜学』として役にたっています。」と現在の日本における最大のスポンサーである国民のみなさまに自信を持ってアピールできるのは悪くない。しかも、研究成果を娯楽方面に使ってもらえるとするならば、実際に娯楽産業の発展に役立つことになり、娯楽産業というスポンサーを得られる可能性もでてくる。

しかし、「娯楽の基盤としての〜学」と言うのは簡単なのだけど、実際に娯楽になりうるレベルの作品に研究成果を作り直すのはさまざまな意味で研究者にとって負担。なぜならば、第一に研究者は研究したいから研究者の道を進んでいるので、研究が第一義的、娯楽にして非研究者にアピールするのは二義的な話。つまり、雑用を増やすことと同じになってしまう。第二に、娯楽を専門に生み出しているプロがいる世界に片手間で作品を作ったとしてもそもそも品質が低い可能性が高い。つまり、作りたくても良い作品を作れない。

研究者にとって都合が良いのは、材料は提供するけど、料理は娯楽を生み出すプロのクリエーター達が行ってくれること。もちろん、研究者自身が作品の成立に深く関与をしても良い。でも、「関与しなければならない」ではない。原作者に名前が載るか、参考文献に書誌情報が載るか、どちらでもよいということ。

間接的な影響として、小説、漫画、アニメ、ドラマ、ゲームなどを入口とし、歴史学へ進むものがでてくる可能性がある。スラムダンクでバスケットボールを行う人が増えたように、キャプテン翼でサッカーやる人が増えたように。また、国民に対して、好事家の楽しみととらえていた歴史学が、娯楽作品を経由して目に見える形で自分達に届く様を見れば、歴史学がなんとなく自分達の社会にとって悪くないものであると思ってもらえるかもしれない。

娯楽クリエーターと編集者にとって

現在の日本において、小説、漫画、アニメ、ドラマ、映画、ゲームは毎年大量に新作が出されている。また、毎年たくさんの新人がデビューし、デビューを目指したたくさんの人が日々精進している。そんな状況において、怖いのがネタ切れ。特に小説や漫画は制約が少ないので、かなり野心的な試みがされており、かなりマニアックなネタを使った作品も好評を得ている。

こんな状況では、誰も知らないおもしろい題材を使って他者と差をつけようという人は絶対に多いとはず。ところが、連載を持っている(仕事を持っている)娯楽クリエーターは取材に費やす時間がとれず、連載をもっていない(仕事をもっていない)娯楽クリエーターは取材費がないので取材ができない。

こういう状態にある娯楽クリエーターやその編集者が、比較的簡単に自分が思いつかないようなネタを簡単に手に入れる機会があるならば、どう反応するか?もちろん、その機会を逃すはずはない。

歴史上のエピソードや面白風俗は、実際に起こった出来事であるので、そのリアリティ(現実感)は折り紙つき。しかも、それをそのまま使うだけでなく、あるエピソードについて舞台が現代の東京だったら何が起こるかとか、エピソードや風俗をブレンドしたら何が起こるかと考えれば、ネタの活用度は無限に広がっていく。たとえば、田中芳樹銀河英雄伝説はたくさんの中国史のエピソードやヨーロッパ史のエピソードが銀河という舞台において適用され、リアリティーと深みを出している。

娯楽クリエーターと編集者にとって、新たな娯楽作品を提供しようとする研究者はライバルであるけど、ネタを提供してくれる研究者は味方。しかも、分厚い本や小難しい言い回し、外国語の文献に目を通すことなく、ダイジェストで面白エピソードを紹介してくれるならばこれよりうまい話はない。

消費者にとって

消費者にとってみれば、面白い娯楽作品が世に生み出されるのは常にウェルカム。研究者と娯楽クリエーターにとってハッピーな出会いは消費者にとってもハッピーな出会い。消費者が欲しいのは娯楽であり、専門書や論文は気軽に楽しむには少し敷居が高い。

この提案の欠点

個々人の研究者にしてみると対してメリットがないということ。たぶん、このイベントのみで生計や研究資金を稼ぐことは不可能。ただし、研究成果の社会への発信という観点でみれば、アピール度が高いイベントだと思う。

実現可能性

とりあえず、5人ぐらいの〜史学の研究者を集めて、イベント打ってみるのが良いと思う。定員20〜50人くらいならば、今ならTwitterを用いて宣伝すれば案外集まると思う。ただし、その集まったお客さんが娯楽クリエーターである保証はない。1回やって、うまくいったら漫画を出版している編集部や娯楽クリエーター養成学校などに宣伝を多少し(ダイレクトメールを送るぐらいだろうけど)、第2回目を実施する。

最初の3回ぐらいは、スポンサーなしの手弁当を覚悟してやるしかない。会場にもよるけど〜10万あればイベント1回打てるのではなかろうか。ここいらへんは、ライブを行っているバンドの人たちやトークライブを行っている人たちに教えを請えばいろいろと良いアドバイスをもらえるような気がする。