慰安婦問題の考え方

bebewaad institute@kasumigasekiwaad institute@kasumigaseki:大沼保昭「「慰安婦」問題とは何だったのか」のコメント欄より、bewaadさんのまとめにすごく納得がいった。

# sakuya Says:
7月 9th, 2007 at 4:59:53

はじめまして。
お立場が左に属するとのことですので(私は右に属していると思います)、慰安婦問題に関する左の方々の言動について、常々、疑問に思っていることをコメントさせていただきます。

慰安婦問題で問題となっているのは、「性奴隷 sex slave であった」という外国でよく用いられる表現が生み出す、事実と異なるイメージだと私は思います。これは慰安婦問題を提起した朝日新聞が最初に描いた像です。

往時、少なからぬ女性が民間悪徳業者に強制的に売春婦とされ、軍の慰安所に送られた事例があったことは、それを取り締まろうとする日本軍の通達や、摘発を報じる当時の新聞記事から、確かであろうと考えられます。

ゆえに、意志に反して売春婦とされることを取り締まりきれなかった責任が、日本政府にあるという論理は成り立ちます。そして、それは安倍首相がアメリカで謝罪し表明したことだと、私は認識しています。

この論理は webmaster 様の言う「右」の論者の多くが認めているはずで、大きな論争とはなっていないと思います。彼らが拒否するのは、「日本が国家として女性を狩って、兵士との性交を強要した」という左(?)の方々が喧伝されている(ように見える)虚構に対してです。

非常に残念なことに、どうやら諸外国ではこの後者の解釈(?)を真として、慰安婦問題が語られているようです。これは事実と異なる批判であり、往時の日本人の名誉を著しく傷つける重大な人権侵害ですから、反論するのは当然だと思います。

私が不思議なのは、何故これに対して右の方々だけでなく、より人権侵害に敏感な左の方々も反論しようとしないかです(私が知らないだけかもしれませんが)。吉見先生は、「日本政府に存する責任」と「日本軍の性奴隷」との間のギャップをよくご存じであると思われますが、彼は外国の誤解を助長しようとしているかのように見えてなりません。

というコメントに対する答

# webmaster Says:
7月 9th, 2007 at 6:43:50

>NOB.Yさん
パーツは講義で出揃っていると思います。ただ、個別の条文解釈論からは離れるので、講義ではあまり触れられない俯瞰的な見方に慣れていないと(私の場合、それが職業上のスキルではありますが)、パーツがうまく頭の中で連携しないかもしれません。

>sakuyaさん
私は自分を右だと思っているわけですが(笑)。

それはさておき、ご指摘の点に管見を述べるならば、まず強制性については、(上でも書きましたが)政府自らが権力を以って強制的に徴用したとの見解は少数派だと思います。ただ、例の広義・狭義問題にも通じる話ではありますが、自分でやってなければよいのか、という話は成立するわけです。

上では中国の海賊版を例に用いましたが、たとえば発展途上国独裁国家でも、憲法などを見る限りは、麗々しく人権規定があったりするわけです。ごくわずかな事例として人権を守っているかのポーズもとったりするでしょう。しかし実態として、憲法等の規定が空文であり、人権侵害事案が数多く見られるならば、人権侵害国家として糾弾せざるを得ないわけです。

では慰安婦問題はどうであったのか。お示しのような「それを取り締まろうとする日本軍の通達や、摘発を報じる当時の新聞記事」に見られるような問題事例への取り組みが、それなりの人権確保を図っている国のように実効性のあるものなのか、発展途上国独裁国家のように見せかけだけのポーズに過ぎないのか、発展途上国独裁国家の例からもお察しいただけるでしょうけれども、「意志に反して売春婦とされることを取り締まりきれなかった」というのが、ヒトである以上例外的事例の存在は不可避だよね、という程度の話なのか、それとも取締は見せかけのポーズであって、事実上放任(放任の結果を享受しているのは国家機関(=軍)なわけですし)しているのか、というのが大いに問題の本質であるわけです。

一般的に「右」の論客は、ここでいえば「憲法などを見る限りは、麗々しく人権規定があったりする」ことを示しているに過ぎず、「見せかけだけのポーズに過ぎない」わけではないとは示していないと私は認識しています。「見せかけだけのポーズに過ぎない」のではないかとの疑念に対して、いわゆる狭義の強制がなかったとのみ身の証を立てたところで問題はすれ違っているわけです。むしろ、問題にされていないようなことをあれこれ言い訳して、批判をそらそうとしているかのごとく受け取られる危険が大きいといえましょう。

手番でいえば、まずは河野談話レヴェルでの「反省」を与党が共にしているのか、そこに現下の問題があるのだと思います。河野談話を否定し、何ら政府の責任はなかったと言わんがばかりの主張をする者が少なからずいるわけですが、その場合、上記で言う「見せかけだけのポーズに過ぎない」わけではないとまで示さなければ、その主張は国際的な通用力を持たないでしょう。それができないなら、まあ日本国内で主張するのは表現の自由の範疇ではありますが、アメリカや中国、韓国の無理解を責めたところで、井の中の蛙であるというのが客観的情勢であるというのが私の理解です。過去の日本人に対する名誉毀損云々というのは、それを示した後の話でしょう。

くどいけど、上記引用部よりポイントと思う部分を抜きだす。

問題事例への取り組みが、それなりの人権確保を図っている国のように実効性のあるものなのか、発展途上国独裁国家のように見せかけだけのポーズに過ぎないのか、発展途上国独裁国家の例からもお察しいただけるでしょうけれども、「意志に反して売春婦とされることを取り締まりきれなかった」というのが、ヒトである以上例外的事例の存在は不可避だよね、という程度の話なのか、それとも取締は見せかけのポーズであって、事実上放任(放任の結果を享受しているのは国家機関(=軍)なわけですし)しているのか、というのが大いに問題の本質であるわけです。

今後は、この件に間する議論を見かけたらこの部分に着目して見聞きするようにしよう。