虚偽はだめだけれども、間違えるのは許す方向で

あるある大辞典IIが納豆の効果に関して捏造したことが問題になっている。捏造してそれを放映したことは良くないことなので、問題になるのが当然だけれども気になるのが「テレビで間違ったことを放映した」という点を持って問題としている人がいるかもしれないということ。

番組ねつ造:「あるある」に消費者から怒り−今日の話題:MSN毎日インタラクティブ

東京都江東区の大手スーパーで買い物していた団体職員の女性(41)は番組のねつ造を知り「今日も買いに来たんです。信じていたのに」と絶句した。以前は月に数回食べる程度だったが、番組で「1日2パックを毎日食べ続けて」と聞き、その通りにしていた。「でも体重が減らないからおかしいと思っていた」

これが「信じていたのに、うそだったなんて」ならば別に良い。「信じていたのに、間違った情報だったなんて」だとかなり困ったことに。

もし、テレビで「間違わないこと」しか放送されなくなったならば、情報収集手段としてのテレビの魅力は相当減る。新しい情報は評価が確定していないので放送できなくなるからだ。情報収集手段としてテレビを見るならば、ある程度間違い(虚偽ではない)がある情報を流してくれるのは問題ない。間違いが判明した段階で訂正の情報を流してくれればだけれども。ただし、放送することによって取り返しのつかないことが起こる場合は別。その場合は評価が固まるまで放送するべきではない。

メディアリテラシーは、情報受信者が情報発信者を疑うという意味だけではなく、情報発信者が間違えるということを認識して、発信者は訂正しやすく、受信者はある程度の間違いを含むものの最新の情報を受けられるような関係を作るという点でも重要な教養であると思う。