たわいのない嘘をつき続けるサイトがWebには必要

はじめに

騙される対象は大学生以上を想定しています。

本文

虚構新聞の記事にひっかかった人が多くいたこと、および、引っかかった人を馬鹿にする人も多くいたことから、ちょっとした話題になっています。

私は、たまたま虚構新聞が嘘ばかりいう情報発信者嘘記事サイトであるとあらかじめしっていたので引っかからなかったというだけなのに、引っかかった人を馬鹿にするのは、かっこよい振る舞いではないと思います。ですが、虚構新聞のように嘘ばかりいう情報発信者がおり嘘記事サイトがあり、かつ、記事になるのはたわいもない話ばかりであるならば引き続き嘘をつき続けてほしいと思います。理由は、こういうのを信じて「ねぇねぇ、知っている?」と知ったかぶった結果、恥をかくことによって「Webの情報を鵜呑みにしてはいけない」と実感し、その後は「もう少し確認してからにしよう」という姿勢を身に着けるきっかけになるからです。

特に虚構新聞Bogus-newsは「一見、本当っぽい」という記事を出すことに力を注いでいます。ですから、騙されて恥をかいたとしても「今回の記事の出来がよかった」という言い訳があるのでダメージ分散できます。この逃げ道がちゃんとあるというのは重要だと思います。「だましにかかっているあいつが悪い!」と言えることは重要です。もう一つ重要なのは、たわいもないことであるということです。今回の虚構新聞:橋下市長、市内の小中学生にツイッターを義務化というのも、正直、たわいもない話です。これで株価が下落するわけでなし、誰かの安全にかかわるわけでもなし。下がるのは、これを信じて言いふらした人のメンツだけです。

先の原発事故関連でデマを流し続ける人、ニセ科学を広め続けようとする人、悪徳商法(特にネットワークビジネス)を広め続ける人も、「Webの情報を鵜呑みにしてはいけない」というきっかけになりますが、それを学ぶまでのダメージがひどすぎます。騙された本人も周囲も非常に傷つきます。ですので、ちょっと恥をかいてみるという題材には不適切です。

また、私のブログをはじめとして正しいことと間違っていること、どっちとも判断できないことを日々垂れ流しているところは、どれが騙しでどれが騙しでないのかの区別がつかず、「Webの情報を鵜呑みにしてはいけない」というきっかけに使うには面倒です。その点でも、嘘ばかり、かつ、記事になるのはたわいもない話ばかりの虚構新聞はとてもよい塩梅の情報発信者です。

こんな偉そうなことを言っている私はどうなのかといえば、掲示板に書き込むことが楽しくなりはじめたこと楽しくなり始めたころに見事に恥をかきました。米歌手のマドンナの騙りブログを本物だと思って/.jpに記事をたれこんでしまいました。当然、書き込みの中で「これ騙りだぜ?」と指摘されて顔から火がでるほど恥ずかしかった覚えがあります。ちなみに、このブログは3か月ぐらい愛読していました。

少子化の現在とはいえ、日々、新たにWebを使い始める人がいます。その人たちに「Webを使うときには、Web上の情報を鵜呑みにしてはいけない」と説教しても、理解はしてもらっても、なかなか腑に落ちてもらえません。大ダメージを受けないうちに恥をかき、「Webの情報を鵜呑みにしてはいけない」と身に染みてわかってもらうのが効率良いです。

なので、虚構新聞やこれから続くであろう嘘記事サイトには、毎回きっちりと嘘のたわいもない記事を量産していってもらい、毎日、一定数の初心者に恥をかかせてもらいたいと思います。その方が、長期的にみて使いやすく楽しいWebユーザーを生み出すと思います。

ちなみに私もしょっちゅう虚構新聞には騙されています。ただ、ブログに書いたりTwitterで拡散しないだけです。だから、今回騙された方も気にしないでよいと思います。

追記1:たわいのない嘘をつき続けるサイトがWebには必要ということとそのサイトに文句言うことは別

上記本文で書き落としましたがたわいのない嘘をつき続けるサイトがWebには必要ということとそのサイトに文句言うことは別だと思っています。騙された人、恥をかいた人が騙した側に「ふざんけんな!」「消えちまえ!」「お前のせいで大恥かいた、ほろびれろ!」と文句いうのは当然であり、騙したサイトもそれを正面から受けるべきです(謝罪しても良いですし、「メディアリテラシーが足りないですね」と言い放っても良いです)。だって、騙される人がいるのを承知で嘘流しているんですから。一部の人からは蛇蝎のように嫌われるのは覚悟の上での嘘サイトでなければへんてこです。そういう覚悟を持っていると思うからこそ、私は嘘サイトをリスペクトしています。

また、「嘘ならなんでも言ってよい」というわけではなく、嘘だろうが実害を与えた場合はその責任をとらないといけないと思います。ですから「たわいもない嘘」が重要なのです。

私がこのエントリーをカウンターとして書いたのは「騙される人がいて可哀想だから、嘘サイトはダメだ」という騙されていない人が騙された人の代弁者として嘘サイトを存在を止めようとする意見に対してです。

追記2:嘘ばかりついていますと明言しているサイトと「本当です」といって嘘言っているサイトは比較してもしょうがない

はてなブックマークのコメント

  • 要約:発信して恥をかけば気をつけて受信するようになる。虚構のやってることは「たわいのない」という点を除けば上杉隆と変わらないのでもう少し深く掘り下げたいところ。

上杉隆さんは「本当です」といってデマを流しています。虚構新聞やBogus newsは「嘘です」といってデマ流しています。騙される人にとってはどちらも同じという見方もありますが、ソースをたどれば嘘であることがすぐにわかる嘘サイトは、本当かどうか確かめなければいけない上杉隆さんとは情報の正しさをチェックするときのコストが大きく違います。嘘サイトをデマ常習サイトと同じとみるか違うとみるかは、デジタル的に考えるか(白か黒かで考えるか)、程度で考えるかにより異なると思います。

私は「常に嘘であると明言している」ことと「たわいもない」という点を重要だと考えています。この部分を除けば、嘘サイトとデマ常習サイトは同じものです。さらに言えば「常に(ほとんど)嘘である」というところも除けば、学術論文とデマ常習サイトは同じものとなります。なぜならば、学術論文も常に正しいとは言えないからです。なので、結局は程度問題であるというのが私の考えです。

追記3:今回の記事は「たわいない嘘」じゃないでしょ?

私はたわいない嘘と思いましたが、そうでないと考える方もいらっしゃるようです。何がたわいないもので、何がそうでないのかは人によって線引きが違いますから、自分がたわいない話でないと思ったら「それはアウトで、ジョークじゃすまない!」と嘘をついた人・サイトを批判すれば良いと思います。嘘も情報発信の一種であるので、嘘によって実害が引き起こされたらそれに伴う責任はとるべきだと思います。

今回、虚構新聞について「それはアウトで、ジョークじゃすまない!」と嘘の内容について批判していることについて、このエントリーは反論および批判をしているつもりはありません。

追記(2012年5月17日):HeDis:虚構新聞からみる「嘘の付き合い方」の今回の件は三つの過ちは非常に納得する。私は第一は「すぐ嘘とわかる」と思っていたし、第二は「橋下さんは別に迷惑なんて思わないだろうと思っていたので「たわいない」と感じていたけど、私には第三の視点は抜けていた。

  • 第一に「嘘が分かりにくかった」
  • 第二は「第三者に迷惑をかけた」
  • 第三は「フラストレーションの源泉を対象にした」
  • 追記(2012年5月17日):「たわいない」ならOKと言っているのに「たわいない」は個々人の判断に任せるというのは一貫性ないだろうというご批判。ublftboさんのエントリーにコメントを書きました。

追記4(2012年5月17日)

  • kana-kana_ceo「楽しくなりはじめたことに」→「楽しくなりはじめたころに」 / 「嘘サイトをデマ常習サイトは」→「嘘サイトとデマ常習サイトは」 / 基準がケースバイケースなら、タイトルの「たわいのない」は無意味では?

kana-kana_ceoさんご指摘ありがとうございました。修正しました。

「基準がケースバイケースなら、タイトルの『たわいのない』は無意味では?」については多くの人が「たわいない」と思っているうちは「たわいない」、多くの人が「ジョークの域を超えている」と思ったら「たわいなく」ないのだと思います。私は今回の虚構新聞の話が「騙される人がいて可哀想だから、嘘サイトはダメだ」という話に拡大しているように思えたのでこのエントリーをかきました。「たわいない」うちは嘘サイトがあってもよいと思うというのが私の考えです。