最近考えていること。
開発や発明という行為は試行錯誤から生まれるものであり一発で完成品が出ることはない。このため、試行錯誤の仮定で既にわかっている、出回っているものができてしまうことがある。でも、それは通過点。車輪を再発明してしまったということで手を動かすのをやめてしまったらもったいない。
なぜ、車輪の再発明は嫌われるのか?再発明に費やしたコストを回収するすべがないからである。なぜ、無いのか?既に車輪は発明されており需要は満たされているからである。
では、再発明した発明者にはメリットは無いのか?メリットはある。発明にいたる過程を経験できたことと、発明を通して発明を行える能力と知識を身につけることができる。それは、本当の発明にとって有力な武器になる。
物事は模倣から始まる。発明や開発ならば、既にあるものを自分なりに作ってみることからスタートする。OSを作ったことの無い人が、新たなOSを作れるだろうか?
じゃあ、車輪の再発明を有力な鍛錬方法としてとらえ、車輪の再発明を促して優秀な人材を育てるためにはどうしたらよいか?それは、再発明に費やされるコストをひたすらに下げることによって可能となる。
これからのソフトウェア開発者を育てるためには、車輪の再発明を如何に痛みを少なくして行わせることができるのかが重要となる。Ruby on Railsなどのフレームワークは「同じことを繰り返させない」ためだけのツールではなく、「同じことを繰り返しても対して負担に感じない」とするためのツールとしても使える。
と思う。