面白いかもしれないから会いに行く

最近読んだ「新しい市場のつくりかた」(こちらは私の読書感想、私的メモ:「新しい市場のつくりかた」の感想つぶやき)にて、商品(サービス含む)の開発のためには、文化の創造が必要であり、その最初のステップは問題発明(not 発見)であると述べられていた。問題発明とは、そもそも誰にも問題として認識されていなかったことを問題として創造するということ。これは、トラブルメーカーとかマッチポンプという意味ではなく、新たな価値基準を生み出し、その基準においては現在は「よくない」「快適でない」「幸せではない」と認識すること。例としてはウォシュレットがこの本の最初で挙げられている。要素技術はエジソンの時代からあったのに「用をたしたあと水でおしりを綺麗にできれば幸せ、そうでないのはおかしい」という問題が認識できなかったのでウォシュレットという商品は生み出されなかった。

問題発明は簡単ではない。そこで、「新しい市場のつくりかた」の著者が提案しているのは、情報収集方法の見直し。この本の10章では「役に立つこと」「効率が良いこと」をフィルターとして使った情報収集活動の限界について話されている。問題発明をするためには、まだ誰も持っていない価値基準を生み出す必要があるが、「役に立つこと」「効率が良いこと」は自分が持っている価値基準において「役に立つこと」「効率が良いこと」なので、既知の価値基準の強化にはなれ、未知の価値基準の発明には効果的でない。余談ながら、このあたりは、検索エンジンの発達による欲しい情報だけ手に入れられる状況やSNSによる類友(類が友を呼ぶ)の強化が問題になりつつあるWebサービスにおいても興味深い問題。

「新しい市場のつくりかた」のp. 358にある上記の考えを進めた上での具体的行動への誘い「知らない人と最後に仲良くなったのはいつですか?」という問いにドキリとさせられる。

前フリ長いけど、以下のエントリーが面白かった。「『面白い人に会いたい』と言って会いに来る人」というフレーズが素晴らしい。

エントリーの前提がわからないから内容には共感できないけど、人に会うのは自分の時間を使うことだから、自分も会うことによってなんかを得たい(新しい情報、うまいもの、お金、ゆったりとした時間などなど)と思うのは誰でもそうなので、自分が何も得られないのに「あって欲しい」を繰り返されると嫌だろうなと思う。

「面白い人に会いたい」というのも一種の「役に立つこと」「効率が良いこと」フィルタ。会う前なんだから、面白いかどうか本来はわからないはず。でも、それでも「面白い人」だけに会いたいなら、誰かが面白いと評価を下した人に会いに行くしかない。実際に会って話せば面白いと感じる人であっても、誰も「面白い」と評価していなかれば、「面白い人に会いたい」人はその人に会いに行かない。新たな面白さの発見がない。

知らない人と最後に仲良くなったのはいつですか?」という問いに答えられるようになるためには、「面白い」「役に立つ」から会うのではなく、誰に会ったとしても「面白さ」「役に立つこと」を探していかないといけない。だから、「面白い人に会いたい」じゃなくて「面白いかもしれないから会いにいく」にしないといけないのだと上記エントリーを読んで思わされた。あと、「会いたい」という要求じゃなくて「許可が得られたら会いに行く」という相手の都合を考慮する姿勢も必要かなと。