クラウドソーシングでソフトウェアの設計を行うことができるか?

非常にうまくできたスライド。自分の主張したいことをスルスルと理解させている。カジュアルなつくりなので卒業研究や修士研究の発表会には流用できないが、「スルスル」と理解させるという点では非常に参考になる。

内容もおもしろい。個人の能力など我々の社会が直面している問題の複雑さに比べるならば、多寡が知れているのだから、自分の能力を誇る人よりも謙虚な人(他人の助力を前提としている人)の方が良いよねという話。確かに、万能な人は少ないし、量的な問題から少数で対応するのは難しいのだから、他人の力を頼る人の方が、何でも一人でやろうとするよりも好ましい。

でも、どうしたって扇の要になる人が必要で、扇の要として適切な人は、要として各種圧力に耐えられる人じゃないと扇はバラバラになってしまう。要としての人材を論じるならば、要として各種圧力に耐えられるかどうかを焦点にして論じた方が良いと思う。上記のスライドは「要になることは受け入れられそう」は述べていても「圧力に耐えられるか」は述べていない。

あと、集合知の使い方として以下の使い方は非常に有意義。

  1. 巨大過ぎて組織の構成員だけでは目の届かないところについて、現場に近い非構成員から情報をもらう
  2. 現場から離れすぎて、知識やリアルタイム性に劣る組織の構成員には認識できない問題や発想できない解決法を提示してもらう

でも、情報の統合や取捨選択、問題や解決法の取捨選択を行う人はどうしたって必要。責任をとるというだけでなく、情報流通のハブ&整流器としての能力を持つ人材が必要。

そして、クラウドソーシングは成果物に金を払うのが普通であるので、成果物がはっきりせず発注者と受注者の間で試行錯誤が必要なものにはあまり会わない。そうなると、どのような成果物(どのような理想状態)を望むのかをはっきりさせていないといけない。このとき、問題分割を行える人材がどうしても必要となる。

クラウドソーシングで発注者と受注者の間で試行錯誤が必要なものを扱えるかは、タイトルにした命題「クラウドソーシングでソフトウェアの設計を行うことができるか?」と同値になる。

リンク先のスライドで述べられている話の実現には、新しい社会的システムの構築が必要なのじゃないかと思う。

うまくまとめられなかった。