体験から言うと文章は量を書かないと書く事ができない(矛盾しているけど)。文章の質は、他人に直してもらうことでしかうまくならない。ある程度、文章を書く力がついてきてからやっと、他人の書いた文章がうまいか、上手くないかわかってくるのだと思う。
なので、中学校と高校の時点ではひたすらに文章を書き、それを他人に直してもらう形で文章力を磨いてもらうのが良い。私の考えでは、文章力とは「議論を前提として発せられる言葉や文を作る力」なので、文章を書く変わりにディベートや質疑応答ありのプレゼンテーションで代替しても良いと思う。
極東ブログの上記エントリーへのコメント
エントリとコメントを見ていて思ったのですが、そもそも日本語を学ぶべきだと言っている人たちには、敬語がマトモに使えなかったり、ら抜き言葉だったりという、日本語そのものがマズイ事に憤っている人と、論理的に分かるように説明する事ができない事をマズーと思っている人とが、混在しているんじゃないでしょうか。
私は、論理的にわかるように説明することができない事をマズーと思っている派。
敬語については、日本語ではなく行儀・礼儀の世界なので国語で勉強する事じゃないと思う。