自分の話し方の癖

今日たまたま、学内のシンポジウムでスピーチしたものを文字起こしした原稿の校正を行ったのだけど、自分のしゃべりのへたくそさにびっくりした。

日本語だったから、自分では結構話せているつもりだったのだけど、文章にしたものを読んでみるととってもわかりづらい。話し方と身振り手振り、あとスライドがあったので自分が伝えたい意図は伝わったと信じたいけど、純粋な話だけならば要点を得ていない。

ローマのキケロは自分の講演集に手をいれまくったというエピソードを「ローマ人の物語」で読んだ記憶があるけど、その気持ちが痛いほどわかる。一方で、ガリア戦記や内乱期を口述筆記して出版したカエサルの物凄さ(当然、校正をいれたのだと思うけど)。

自分のために自分の話し方の癖で気になった点を列挙しておく。

複文を使いすぎ。

口頭なのでしょうがないけど一文が長い。一つの話題を一文として話している。その結果として、余計な接続詞が多く、特に「〜が」「〜けれども」というのが多用されており、しかも意味を成していない。

沈黙が怖いという心理が働いているのではないかと思う。

しゃべりくちが柔らかすぎ

聴衆が先輩の先生方にもかかわらず、口語過ぎる。

  • 「〜なんですけれども」「〜あるんですけれども」:これがとっても多い。私の地元の方言なの?
  • 「〜というのはですね」
  • 「〜というふうにしています」
  • 体言止めの多用

事実と主張が明確に分かれていない

「複文使いすぎ」とあいまって、どこまでが事実確認でどこからが事実から展開された私の主張なのかがわかりづらい。

微妙な敬語

丁寧に話そうとしすぎて、奇妙な敬語を使っている。単純に場慣れしていないのが原因。

おわりに

話していることは結構良いと思うけど、話し方がどうも要領を得ない。久方ぶりに自分のしゃべりを録音して聞かないといけないかなぁ。