発言しやすい世の中に向けて

児童小銃:ネットの言論と編集

言論の完成度を上げていく形で議論を続けることは可能ですし、議論の外から「まとめサイト」的なものを作る人も出てきたりします。要するに読者が編集者になり、他の読者の目の前で編集作業が進んでいく感じです。ちょうどバザール方式のオープンソース開発のようなもの。

この方式の場合、work-in-progress な未完製品の言論が表に流通することになるので、読者の側にリテラシーが要求されるという欠点はあります。言論を利用する際にはその言論が安定したバージョンかどうかを自己責任で見極めなくてはなりません。

私が昨日書いたエントリに対して、答えを一つ提示してもらったような感じがします。(私が勝手に見つけてそう思っているだけですが)

ネットの言論、昨日の私のエントリではブログでしたが、これは言論の編集過程をオープンにしている状態であるということをみんなが認識して、編集過程の間違いやブレ、構造的欠陥があることを許す(これは、間違いの内容や構造的欠陥自体を認めることとは違う)のがよいのではないかと思います。