なるほど一般市民が科学者に感じるいらだちはこういうものなのか!

という感想が、以下のTogetterのコメントあるいはそれへのブックマークにあり、うまいこと言うなぁと思ったので流用させていただいた。ちなみに、私は自分の研究分野以外は素人なので、3月11日からずっと「何をやればよいのか断言しろよ!」といらだっていた一般市民なので、別にタイトルのようには思わなかった。

@skasugaさんがTogetter:「科学は信仰するもの」という科学者って、いったい誰のことなのかしら?の終わりの方で以下のようにつぶやいたことから、残りの二つがまとめにあるようなやりとりが発生している。

そういえば『もうダマされないための「科学」講義』は立場の違う人々のアンソロジーで、かつそれぞれに興味深いが、最後に「付録」として掲載されている「放射性物質をめぐる怪しい情報と不安につけ込む人たち」はちょっと困った論文だ(そもそも付録ってどういう意味?)。

同論文では「あやしい情報」ないしデマを色々集めているのだが、最初に「デマ」の定義が示されていないのがまずダメ。なので、結局分析としてあげられている「政府と電力関係者への不信感」「科学への不信感」がデマの識別指標になってしまっている。(続)

(承前)従って「あやしい情報」でも、政府や科学者から発信されるものは含まれないことになる(しかも「科学者」の定義も示されていないので、ここの判定もわりといい加減に見える)。これだと、結局自分とは違う立場の人々の言説を「気に入らない」と列挙しているのとあまり変わらない。(続)

(続)まぁ、論文の目的がデマの識別にも分析にもないというのならそれで構わないのだが…。

私の理解する@skasugaさんの懸念は以下のとおり。

  • 大前提として、被曝などについて誰の情報を信じれば良いのか教えて!にあるような認識があり、科学は権威になっている。
  • この認識の下で、「科学者」と呼ばれる人たちが書いた「科学的権威」がありそうな本において、デマの識別指標として、「政府と電力関係者への不信感」や「科学への不信感」が提示されている(ように読める)
  • この識別指標に従うと、政府と電力関係者および科学者が発するデマはデマとみなされない
  • 結果として、政府と電力関係者および科学者が発するデマを「デマである」という人たちが、正しい情報を不当に貶める行為をする人たちとして、非難される可能性がでてきてしまう

まあ、こういう懸念があるのは@skasugaさんの現在の科学に対する認識の下では、あり得るかなと思う。

この後の、@skasugaさんと@kumikokataseさんのやりとりは、上の懸念について真正面からぶつかっているのではなく、デマの定義、科学の定義、この論考で扱っている「あやしい情報」網羅性についての個別議論になっている。

で、@skasugaさんが以下のように言ってしまったので、話が別のステージにいってしまった。

私が申しているのは @kumikokatase さんのが「科学的な根拠で」あやしい情報を識別しているという態度がすでに(デマゴギーとは言わないまでも)少なくともプロパガンダである、ということです。挙げておられる内容についての議論は事例に過ぎません。

で、そういったプロパガンダは、こういった緊急事態において普通の市民が異議申し立てをすることにたいして抑圧的に働くのではないか、ということを指摘しております。@kumikokatase

こう言ってしまったので、Togetter:菊池誠さんx春日匠さん 大阪大学教員どうしの激論にまとめられている@kikumaco_xさんの以下のようなつぶやきにつながる。

代案なしにただ否定するだけでは非常時にはなんの役にも立たない。平時にはそれでよかったのだけど。問われているのはそういうことでしょう。よりよい方法の提案とか実践とかがともなわないなら、無視するしかないように思うね

そうでないとすれば、それは「何もせずにほっておけ」という提案と同じだから。本当にほっておいていいの?という問題が提起されているわけだよね

僕には片瀬さんの記事のような文章は書けないし書く気もないけれども、あれを必要とする人は多いと思う。非難されるのは必要とする人が多いことの裏返しだろうから、たとえば非難する人には「必要とする人がいるという事実をどう考えるか」も表明してもらいたい @skasuga

@kikumaco_xさんは、ニセ科学問題について程度や優先順位を常に言い続けている方なので、@skasugaさんの懸念どおりになることと@kumikokataseさんの論考が手助けになることのどちらの程度が大きいのかを、@skasugaさんに尋ねてたのだと思う。

で、@skasugaさんが、@skasugaさんの懸念どおりになることと@kumikokataseさんの論考が手助けになることのどちらの程度が大きいのかを示さなかったので、他の人も参加して@skasugaさん吊るし上げ会みたいな雰囲気に突入してしまう。

さらに、程度を問う例題として、ある個人(この場合@kikumaco_xさんが)御用学者Wikiに掲載され不当な中傷をうけることと、市民が権威である科学者に対する必要悪として御用学者Wikiが存在することを肯定することについて、どのように判断を下すのかという問い詰めに発展していく。

Togetter:「御用学者Wiki」についてのやりとりは、@nk12さんと@skasugaさんのやりとりがとても面白い。そして、@skasugaさんがどうしてああいう回答をするのかは、以下の@skasugaさんの認識を理解した上でないと理解できないのだとわかる。

具体的には、特に原子力において歴史的に見て政府との論争においては割と「科学的」であることが求められてきたわけですよ。例えば安全性管理の話にすると一応政府は対応するけど「原子力の持つ意味」みたいな話をすると「それは人それぞれですから…」で流されちゃう(続) @nk12

なので、市民運動側も中途半端に「リスクの話」にするところに追い込まれる。で、かつ裁判所のリスク認定がいい加減だったりして「結局、科学と言って政府の都合の良いような情報を採用するだけじゃない」という話になる。そうすると運動と社会に絶望するか、(続)@nk12

承前)オレ科学をでっち上げて主張するか、あるいは対話をあきらめて(やや)武装闘争路線に転向するか、ぐらいしかなくなるというのがこれまでの歴史だったわけです。なので、現在の状況においては(続)@nk12

承前)なにか主張したいことをオレ科学に強引に変換して主張しているんじゃないか、とか、専門家の支配に対抗するために主張しているんじゃないか、とか色々「背景事情」も忖度しないと、なかなか情報の価値を評価できない、と思うわけです。@nk12

(@skasugaさんの発言)

@skasuga ありがとうございます。では優先順位としては、1.今起きてる誤解の伝搬による差別等の害を防ぐ 2.誤解する(あるいはそう見える)側の立場と動機の多様性に留意する。 付記.そうした留意は誤解を解く面でも役立つし、また、それが欠けることで起きる思想的抑圧も危険である。
(@nk12さんの発言)

私としては優先順位は2>1なのかという気もしてますが、1>2の人がいること自体は好ましいと思います。 RT @nk12: ありがとうございます。では優先順位としては、
(@skasugaさんの発言)

@skasuga おっしゃることはよくわかります。(単純化した言い方で例えば)「これが心配だから調べてほしい」という妥当な要求が、「言ってることのどこかが科学的に正確でないから門前払い」となってしまう現状がある。

@skasuga そうならないように、相手が、どのような心配を持ち、どのような意図、事情、背景で発言したのかを汲むことに力を尽くすべきだし、そこを重視する立場も必要ではないか、ということですね?
(@nk12さんの発言)

最初から、自分のブログで丁寧な説明の上で懸念を伝えたらそれでよかったように思う。

あと、Togetter:「御用学者Wiki」についてのやりとりにまとめられている @genkurokiさんが@skasugaさんの言質を取りいくやり方は、私は好きでないけれど、Togetter:「科学は信仰するもの」という科学者って、いったい誰のことなのかしら?での@skasugaさんの@kumikokataseさんへの迫り方を見る限り、真正面から答えてあげてよいのではないかと思った。

追記

専門家が権力者であることを自覚しようという基本的な考え方には賛同するが、それを非専門家が専門家に強制適用するのには賛成できない。私の基本的な考え方は以下のとおり。努力目標を義務として相手に適用しないようにしないと世の中すみにくい。