WAQWAQプロジェクト:Wikipedia日本語版を充実させる2ヶ月間を企画して感じたことなのだけど、Wikipediaを研究者が提供する科学技術用語集の代替とするのはちょっと難しい。というのを以下のエントリーの引用部分を読んで思った。
全般的なコメント
〜前略〜
科学技術用語集のサイトは、我が国の科学技術を支える基本的インフラと考えられる。研究者・文献情報としっかり結びついた科学技術用語集のサイトがあれば異分野間の融合的研究やイノベーションを大幅に加速するのは間違いない。
科学技術用語集は、Wikipediaや外部サイトに頼るのでなく、自前のものを国家戦略としてつくって欲しいところ。Wikipedia的な科学技術用語サイトは専門家や他分野の研究者に必須であるだけでなく、一般国民との科学コミュニケーションの上でも極めて重要。JST(and/or 文科省)の主導でトップダウン的に研究者に整備を促す仕組みを構築すべきであろう。例えば、科研費やJSTの研究プロジェクトの報告書を廃止・簡略化するかわりに、公的研究費でサポートされた論文要旨に出現するキーワードの解説をそのWikipedia的な科学技術用語サイトに掲載するよう義務付けるとともに、それを一種の業績にカウントできる仕組みを取り入れることなどがありうる。
〜中略〜
科学技術用語
独自のコンテンツがなくWikipediaやリンク集にすぎないように思われる。遺伝子・化学物質と統合し、「全般」のところに記したように、コンテンツの充実を国家戦略として行うのがよいであろう。
日本語で用語の意味を記すだけでなく、その用語の英訳も掲載し、自動翻訳に使えるようにすると便利。現状でも類義語辞書は充実しているので、それを活用しつつこれを行うとよいだろう。
J-GROBALJ-GLOBALでいろいろな検索ができるようなのだけど、科学技術用語辞典で「放射能」と検索するとこういう結果がでてくる。宮川さんのおっしゃるとおり単なるWikipediaのリンク。
「でも、Wikipediaのリンクだっていいだろ?研究者がWikipediaにちゃんとした記事をつくればいいだけじゃないか」という意見が当然でると思うのだけど、専門家の書き込みが素人に変更されるのは云々というプライドの話は横においておいて、今のWikipediaの方針だと正直難しいように思う。それはWikipedia:自分自身の記事をつくらないという方針。
宮川さんの提案どおり「例えば、科研費やJSTの研究プロジェクトの報告書を廃止・簡略化するかわりに、公的研究費でサポートされた論文要旨に出現するキーワードの解説をそのWikipedia的な科学技術用語サイトに掲載するよう義務付ける」というとき、その用語について、良く知っているのはその研究者自身。なので、その報告書を書こうとしている本人がキーワードの解説をWikipediaに記載するのがもっとも適切でかつ効率が良い。
ところが、Wikipediaの基本構想は「検証可能な事実について第3者がまとめる」というもの。その当事者が自分の担当する記事を作るということを許していない(それを許すと自分に都合の良い記述だけかかれるから)。私の理解では、この部分がオープンソースソフトウェアの開発モデルであるバザールモデルと微妙に違うところ。
自分で自分の論文に関する解説記事をWikipediaに作ることができないので、誰かが自分が欲しい部分について解説記事を作ってくれるのを待つ必要がでてくる。ところが、その研究テーマがメジャーなものならばよいのだけど、日本ではマイナーならばその人以外に解説記事を作ってくれそうな人がいないということは普通にありえる。特にそれが先端的な研究であればあるほどその傾向は強くなる。それでは宮川さんの提案のような用途で使えない。
WAQWAQプロジェクト:Wikipedia日本語版を充実させる2ヶ月間では自分の分野の「常識」をWikipediaに追加するという方針でしたので、この問題は重要ではなかったわけですが、科学者間コミュニケーションおよび科学者と一般市民とのコミュニケーションの基盤として科学技術用語集を整備するという観点からすると、Wikipedia:自分自身の記事をつくらないという原則は検討を要する問題になると思う。
私としてはWAQWAQプロジェクト:何でこの企画をやろうと思ったのか?で書いたように、時の政府の動向に左右されないという観点からWikipediaが科学技術用語集として使われるというのが適切だと思うのだけど、なかなか難しい。以下、WAQWAQプロジェクト:何でこの企画をやろうと思ったのか?から転載。
2009年に行われた事業仕分けをきっかけに、「科学コミュニティが一般社会から離れている」と多くの人が考えているという事実が明確になりました。また、先日の東日本大震災およびそれに続く福島第一原発事故において、科学および技術コミュニティに対する不審がより大きくなったように感じています。
一方、東日本大震災および福島第一原発事故に直面した人たちの中には、ネットを利用して情報収集を行い、自分や家族、知人の健康や財産を守ろうとする人も多くいました。そして、そのときに利用された情報の多くがネットに公開された科学者、技術者の論文、解説などでした。ネットの普及とその利用法の習熟により、科学文書・技術文書を非専門家の方々がダイレクトに利用できるようになり、実際に利用しているわけです。
しかし、非専門家の方々にとって、原著論文や他の専門家向けの解説文書を読むのは難しく、時間のかかることです。このため、仕事に忙しい社会人のみなさま、家事や育児に忙しい親御さんたち、高校までしか進学していない方々がほとんどである高齢者にとってはそのような文書を読むのは簡単なことではありません。
もし、非専門家の方々が最初に専門知識にたどりつくための簡単な解説および良質な資料へのリンクが存在するならば、ネットを利用して専門知識について学びたい方々にとって非常に役に立ちます。一方で、そのような簡単な解説および良質な資料の提供者が、大学院生、大学院修了者および専門家であるならば、科学・技術コミュニティは、専門知識を社会に還元する意図があり、かつ、実際にそれを行っていることを非専門家の方々にアピールできると考えられます。
自分の分野の常識をWebでアクセスできるようにしておくことというエントリーで書きましたが、そのような簡単な専門知識の解説および良質な資料へのリンクを個々人のブログや組織のWebサイトで公開しておいてもよいのですが、そのような情報は一箇所にまとめられていた方がその利便性が高まります。
Wikipedia日本語版は、この用途においてとても有用な候補の一つです。第一に中立的な組織が運営するサイトでありますし、第二に数年から十数年のスパンでそのサイトが存続することがきたいできます。
また、福島第一原発事故が示した事実は、科学や技術だけではこのようなトランス・サイエンスの問題は扱いきれないということでした。われわれには、自然科学およびその応用分野だけでなく人文学の知識も必要です。さらに我々の社会の場においては「伝統」「一般常識」を理由とした不合理に思える発言や振る舞いが多く見られます(たとえばこれ)。これらの「伝統」「一般常識」へのカウンター情報として、人文学の各分野における常識が、Web上で簡単にアクセスできるようになっていることはとても重要です。そして、このような人文学の各分野における常識を記載しておく場としても、Wikipedia日本語版は適切な場であると思われます。
ちなみに科学技術用語集をWikipediaとは別に作成し、その記事をWikipediaにまるごと転載するという方法はありえる。ただ、今度はWikipedia:検証可能性の項目にひっかかる可能性がある。科学技術用語集は査読されないだろうし。
別件で、User Generated Contentsの代名詞であるWikipediaはノイズを排除するためにルールを増やした結果、コンテンツ発表の場の移り変わりに対応できていない印象が正直ある。たとえば、3/11の原発事故以来、東大の早野さんはいろいろなデータをTwitter上で紹介しつづけているけど、そのTweetをまとめたTogetterのページなどはWikipediaでは一次資料として使えない。まあ、Wikipediaは速報性の高いものを扱わないという方針だからしょうがないのだけど。本になっていないその研究者しか、知らない概念や事実などをすみやかに公開し、他の研究者や開発者、一般市民に役立ててもらうという観点からもWikipediaの立ち位置はちょっと科学技術用語集として合わないのかもしれない。
「WikipediaをJ-GrobalJ-Globalの科学技術用語集の代替とすることへの問題点」に対するksaka98さんの感想&ご意見
[http://togetter.com/li/228526:title=「WikipediaをJ-GrobalJ-Globalの科学技術用語集の代替とすることへの問題点」に対するksaka98さんの感想&ご意見]より転載。
Wikipedia:自分自身の記事をつくらないの対象は、「あなた自身、あなたの業績、あなたの会社、あなたが在学している学校および卒業した学校、あなたの出版物、あなたのウェブサイト、あなたの親戚、その他もろもろのあなたが利害関係を有することがら」。「あなたの研究対象」は含まれない。少なくとも学術の世界で一応受け入れられているような「あなたの唱える学説」「あなたが支持する学説」などに関しては、Wikipedia:独自研究は載せないやWikipedia:中立的な観点に留意する必要がある。
「科学技術用語集」が、百科事典の冒頭部に書かれるような基本的な定義や用例と、基本的な説明に留まるなら、おそらく問題は生じない。 基本的な語彙の説明を、どのような情報源を示して行なうのがいいかというのを、専門家として考え出すと悩ましいところはあるかも。
早野さんのTogetterのページは難しい。Wikipediaは速報性の高いものを扱わないわけではなくて、速報のために、情報の信頼性を犠牲にはしない、ということでしかない。早野さんが挙げていた「いろいろなデータ」は、そのソースを参照して、書き加えることができます。難しい、というのは、早野さんは、原子力の専門家でも低線量被爆の専門家でもないわけで、それは百科事典に掲載する内容の情報源としては、信頼できるとはいえないですから。
せめて、その書き手が、その分野で一定の評価を得ていることが、誰でも理解できる、そして他に入手が比較的容易な他の情報源がないなら、togetterのまとめを一時的に使うことは、できなくはないと思います。
ただ、ウィキペディアは百科事典であって、それ以外の何かをウィキペディアに負わせることは、百科事典としてのありかたに混乱を生じさせることに繋がってしまう。
別に本にしなくてもいいから、信頼できる機関がネットで再発信するとか、寄稿をお願いするとか、そういうことが期待される。JSTでもシノドスでも。それは、専門家を抱えないウィキペディアではできないこと。
「科学技術用語集」をJSTが自作するなら、それを情報源にして、ウィキペディアに転載することはできる。編集の著作物としての著作権とか、閲覧者に複製を禁じる規約とかの問題であって、Wikipedia:検証可能性の問題ではない。
その研究者しか、知らない概念や事実ってのは、おそらくまだ社会的に必要とされません。学会で話をしていればいい言葉だと思う。日本語文献として紹介されていないとか、「本」になっていないということなら、日本語でない文献や「論文」を情報源にして書けばいい。
「火山灰質粗粒土」を調べると、英語での説明が出てきていますが、これ何に由来するのかも分からないな。
とりあえずざっくり読んでそんなことを思いました。
ksaka98さんとコメント欄のCai0407さんのコメントで私の考えもはっきりしましたが、結局のところ自分の論文を自分で解説するのはWikipediaの記事として大丈夫なのかどうかという点が一番大きいところですね。」「あなたの業績」=「あなたの研究成果」ですから、自分の業績について記述すべきでないならば、自分で自分の論文の解説をすべきではないという解釈でした。
もし、公表済みの論文ならば、自分で自分の論文の解説をしても良いとなればWikipediaを「科学技術用語集」として使える可能性があると思います。ただし
- 人文学の場合、紀要論文が主たる発表媒体であること。
- 博士論文などにまとめた内容であったとしても、本にするまで時間がかかること。
から、人文学の専門知識に関して自分の論文をWikipediaで解説するのは難しいように思います。
ksaka98さんの解説ですと著作権の問題がなければ、JSTとかが作った「科学技術用語集」の内容をWikipediaに転載するのは構わないということですので、JSTなどが「科学技術用語集」を用意し、それWikipediaに転載するというのが無難な解決法だと思います。
今のところの考えをまとめると科学用語集は以下の要件を満たす方が良いと思う。
- Wikipediaで使用されているMediaWikiをプラットフォームとして利用する
- 執筆者はRead & Researchmapのアカウント保持者のみとする
- 大学院生も執筆できるようにするため
- 記事執筆者の業績リストや研究費取得状況をたどれるようにするため
- 科研費報告書などと対応付けを簡単にするため
- Creative Commonsのライセンスを適用し、Wikipediaに転載可能な状況にする
- 科学コミュニケーション・技術コミュニケーションの基盤とするために想定読者像を「高校2年生」とする。
- 各学会の会誌やWebサイトですでに公開されている用語集や解説記事などを収集&権利調整して、科学用語集に掲載し、科学用語集のたたき台とする。