自分で考える子は面倒な子でもある

物事には良い面と悪い面が必ずある。自分で考える子というのは、場面によっては面倒な子になる。それを我慢した上で、家庭(親族含む)の中の誰か1人でも、その子が「自分で考えること」を推奨し、保護してあげれば、自分で考えることを悪いことであると感じずに育つんじゃなかろうか。

だから、私とあなたができる「日本で自分で考える子を増やす」方法は、自分の子供、あるいは、甥・姪の味方に立ち、ちょくちょく訪れる面倒な場面を「しょうがない。これは支払うべきコストだ」と割り切り、「自分で考えること」を推奨し、それを批判する人には盾および避難所になってあげることの唯一つだと思う。

とにかく、話をさえぎらずに自分の考えを最後まで聞いてくれる人がいるならば、自分の考えを閉じ込めて、最後には考えなくしてしまうという状態に陥るのを防ぐことができると思う。自分で考える子を増やしたいなら、自分の周りの子どもの話を聞いてあげればよいとおもう。訓練されていない語りだからイライラすると思うけど。そういう意味で、血縁の子の方がイライラが緩和されるかも。

宋文州さんのうまい逃げ方という本に、学校でどんなことがあっても、家族が宋さんの味方だったから、外でどう思われても平気だったという記述があった。私は外とあまり対立しない(対立しそうになったら逃げる)ので、こういう経験はないけど、家族は自分の味方であろうという先入観は常に持っている。

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