半年前にわかったのはよかったのでは?

はてな匿名ダイアリーのエントリーでいろいろとこのブログのエントリーが参照されていた。良く目にする勉強が得意な学生という印象。

十分に自己分析できているようなので、指導教員に正直にここに書いてある自分がこれまで受けてきた教育とと現在研究で求められているスタイルの間に存在する違和感を説明して、修士修了に向けてどういう風に研究を進めていけばよいのか相談したらよいと思う。ぜひ、理解してほしいのは指導教員は単なるおっさん、おばさんなので、学生が伝えてくれないことは察することはできない。二十数年間にわたりずっと見守り続けてきた親兄弟とはそこが違う点。

エントリーで書かれている内容から全般的に「そもそも、何のために〜を行うのか?そして、どういう結果を得たいと考えているのか?」というのをつきつめて考えていない(or 考える方法を学んでいない)のではないかと思う。特に以下のくだり。

自分が物理あんまりわかってないので、指導教員が「これこれこういう方針でいってみては?」って提案してくれて、ほうほうそういうものなのね、ってそういう方向でやってみて、で結果をみせたら「この報告からは君が何をやろうとしているのかわからない、これによって君は一体何を主張したいの?」みたいに言われるとえー急にそんなはしごを外されても…ってなって、でもやっぱりそれじゃ研究する立場としてはダメすぎるよね。

本当に自分で「自然な疑問」を持って問いを立てる、っていうのが全然できない

なんというか、理系の人の大半が例えば法学での甲という学説と乙という学説の対立なんか別にどっちでもいいよ、って感じてるのと同じくらいに物理のあれこれに対してえー別にどっちでもいいよ、って感じててあんまり「これを明らかにしたいんだ!」っていう目的意識を持つのが難しい感じ

新たなことを明らかにすることに情熱無くても、今、自分が行っていることを他人に説明するためには 今何を行っていて(What), なぜ、それを行う必要があって(Why),実際にどうおこなって、どんな結果がでたのか(How)をちゃんと説明しないといけない。この説明できるかどうかは研究に情熱があるかどうかと一切関係なくて、単なる技術的な話。自分の足りてないところは認識していると思うので、あとは訓練するだけだと思う。

でもアスペルガーのサバイバル術でよくある「質問されたときは理由で返すな、そういう時に相手が聞きたいのは理由ではなく謝罪だ!」みたいなのを高校生くらいのときにふんふんそういうものか、覚えとかなきゃってやってたせいか上で書いたみたいな状況で指導教員に「これはどういうことなの?」って聞かれてもむっちゃ身構えちゃうしそこであなたがそう考えた理由を教えて、って言われてもえーそういうこと今まで求められてなかったよー、ってやっぱりはしごを外された感しかない。最近はこういう質問なげられたときにしどろもどろになってろくな返事もできない自分にたいして指導教員もかなり呆れ顔になってるな、ってわかってしまうので精神的にけっこうきつい。

上のブコメのリンク先とその追記先を読んで思ったのは、例えば就職面接のコピペで知られる「1+1は何ですか?」っていう質問にたいして大学教員のほうとしては「私は1+1=2だと考えます。それには3つ理由があります。1つ目は…以上の理由により、1+1は2とかんがえるのが妥当だと私は主張します」って学生が答えるのを期待してるのかもしれないけど、自分が今まで生きてきて当たり前に求めらてた解答は「(1+1が何であることがこの人の期待してることだろう…)→(その答えを察して返事する)」だったし、ていうか研究室の一歩外にでれば今でも普通にそう振る舞うべき場面ばっかりじゃん。「気立てがいい」って要するにそういうことじゃん。

文章読むかぎり、リンク先のエントリーの筆者はアスペルガーの方々のサバイバル術を身に着ける必要はない。どちらかというと行間読み過ぎ(空気読み過ぎ)で消耗するタイプなので、もっと行間を読む感度を落として、質問されたことに対する回答を簡潔に回答するだけにした方がよい。基本的には心構えと訓練(経験)が足りていないだけなので練習すれば大丈夫。日報書くことから始めてはいかがかと思う

ほんとなんかもう、ただただ自分が研究に向いてないってことが改めてわかったというだけの1年半だったし修士すら終わらせられる気がしない(修了要件に学会発表を1回はしなきゃ、みたいなのがあるけどできる気がしない、未だにぜんぜん結果がでてない)、でも退路も立たれてどうしようもなくて大学いく電車の中ですら辛くて泣き出す始末、いままで期待していろいろサポートしてくれた家族にも申し訳なくて大学院無理そうですって言えないし、いまはすごく明日の月曜が来るのが嫌すぎてつらい

かといってここで逃げたら「自分で選んだ道すらまっとうできない」ダメ人間の烙印はずっとついて回るし、親や教師の言うことがよく聞けるだけの聞き分けのいい子が大人たちの考える「正しい答え」をひたすら暗唱し続けた結果がこれだと思うと情けないと思う反面、しょせんは自分の頭で主体的に考えられない人間の末路にはお似合いだねっていう感じもするしもう一生誰かの言いなりになって言う事を聞くだけで生きていければな、っていう希望しかない

今までちゃんと手を動かしていたのならば半年もあるので今からでも十分どうにでもなる。まずは、精神状態の安定と、指導教員&家族とコミュニケーション取り続けることが重要。その第一歩として、とりあえず、カウンセラーに相談しに行った方が良いと思う。