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レトリカル・クエスチョン対処法

発声練習 研究

レトリカル・クエスチョン(修辞疑問)というのは
「質問の形をしているけれど、実は質問の答えを求めているわけではない」
という表現のことです。レトリカル・クエスチョンを多用するのは
コミュニケーションの品質低下を招くことがあるので注意しましょう。

〜 中略 〜

ところで、普段からレトリカル・クエスチョンを多用していると、
コミュニケーションの品質が低下してしまうことがあります。
ここでは一つだけ説明しましょう。それは発言者は「質問」している
つもりなのに、相手は「非難」だと受け止めてしまうという場合です。

よく見かける光景を説明してくれる素晴らしいエントリー。

私の見聞きしている範囲では断定的な物言いを避けるために、普段から自分の意見を疑問形にして柔らかく表現していることが多いと思う。叱責をする場合でも「あなたの****が駄目なのです。」という代わりに「あなたの***が駄目なのではないかな?」というように質問の形をとり、それを相手に答えてもらうことで本来自分の言いたいことを理解してもらうということをしていると思う。なので、そもそも最近は「普段からレトリカル・クエスチョンを多用している」状況なのではないかと考える。

話しかわって、4年生が卒論生として研究室に配属され、研究を始める際に多くの割合で、質問されると

  • 怒り出す。やけに攻撃的な物言いで猛然と反論を始める
  • あわてる。突然、言い訳を始める

という現象を見せる。私も、研究室に配属された当初は質問されるとそれを自分に対する挑戦だと考えて、猛然と反論し始めていたように思う。(上記エントリー中の(B)-(A) の不一致)

「どうして、この現象が生じるのかなぁ」と漠然と思っていたけれども、結城さんのエントリーはどうしてこういうことが起こるのかをうまく説明してくれている。「質問される」=「叱責・非難」だと理解しているからで、どうして、そう思うかといえば、普段から自分自身が疑問形で「叱責・非難・要求」をしているから。

私も含めた多くの人が「普段からレトリカル・クエスチョンを多用している」人間であるとすれば、個々人がレトリカル・クエスチョンに気をつけることを期待するよりは、ある一定の時間だけはそれを使わない、使ってもあえて無視するというようにしたほうがやりやすいかもしれない。レトリカル・クエスチョン自体は使い方によっては悪いものではないし、既に我々のコミュニケーション方法として深く根付いていると思われるので。

たとえば、トリンプの「がんばるタイム」。トリンプ:「がんばるタイム」

1994年より実施している「がんばるタイム」は、毎日12時30分から14時30分の2時間の間、私語、オフィス内の歩き回り、仕事の依頼・確認など個人の職能に関する以外のことを禁止する制度。コピーや電話をすることも可能な限り制御することで、業務の集中化と効率化を徹底し、モチベーションを向上させようというものです。仕入先のお取引先にもこの時間帯での訪問や問い合わせなどを出来るだけ避けてもらうよう理解を仰ぐなどこの制度の遂行の徹底を図っています。

これは、現在の仕事が他人との協力なくしてはなり行かないという現実を理解した上で一定時間だけはわざと他人との協力を禁止するということをしているのだと思う。

あるいは、ブレーンストーミングwikipedia.ja:ブレーンストーミング

ブレインストーミングとは、自由に意見を出し合い、あるテーマに関する多様な意見を抽出する技法のことである。質より量を重視し、お互いの意見に批判をせず、自由に意見を出し合うことで、周辺知識を列挙することができる。

基本的に、良い点よりも悪い点の方が目に付きやすいし、自分がそれをやるのかと思うとあらかじめ突拍子もないことは制限しておきたいと思うのは人情。なので、一定時間批判を禁止する時間を作り出すのがブレーンストーミングのポイントだと思う。

そこで、これらの先行事例にならって、ある特定の時間と場所、あるいは、事柄に関して、たとえば、研究室のゼミや研究に関する話合いにおいては、
「我々はレトリカル・クエスチョンを使わないことにしよう。もし、誰かがレトリカル・クエスチョンを使っていたとしてもわざとそれを普通の質問であると受け取ることにしよう。」
と宣言して、それを根気強く繰り返すのが良いと思う。

それにしてもこういう素晴らしいエントリーがあるから、やっぱりブログ読みは止められない。