子育ての寛容さを人の心持ちに求めても解決しない

たぶん、「満員電車に乗ったベビーカー」はどの国の人であっても煙たい。だって「満員電車」なのだから。「乗車率100%ぐらいの電車に乗ったベビーカー」を煙たがるのが日本だけならば、日本社会は子育てに対して厳しい。だから、まずは満員電車にベビーカーを載せなくても良いようにするのが第一。そして、多分ここでいう「日本」は「東京圏」のことだと思う。

核家族化の進行や若者の恋愛離れによる家族観の崩壊など様々な理由が考えられるが、一つには日本社会が「他人に不都合を与える人」に対して異様に厳しい社会だからではないかと思う。相手の迷惑になりたくないから、子連れであろうとなかろうと関係のない人には話しかけない。母親のほうは泣きだす子どもを連れていることがまるで何かの罪のような、肩身の狭い思いを強いられてしまう。

しかし、人間社会と言うのはそもそも互いに「不都合」をかけあって構成されているものではないだろうか。誰にも迷惑をかけずに生きていくことはできないし、満員電車に乗ったベビーカーを煙たがっている人だって、どこかで誰かに不都合を与えているものだ。揺れる車内のなかで子どもと大きな荷物を抱えて立っていることがどれだけ大変なことなのかは誰の目から見ても明白だと思う。それなら、そんなママたちよりも身軽な人がちょっと不都合を被ってあげればいい。それを「助け合い」と呼ぶのではないだろうか。

「困った時には助け合う」こんな当たり前のことが当たり前にできる社会で生きるほうが、どんなに人は幸せになれるだろう。

パリの地下鉄に赤ちゃんを連れたママが、周りの人に笑顔で「メルシー(ありがとう)」と言っている光景を目にするたびしみじみ思う。