私は目の前のいない人の反応まで考慮しきれないから。
〜前略〜
靖国神社の話にしても、静かに参拝すべきなんですよ。騒ぎにするのがおかしいんだって。静かに、お国のために命を投げ出してくれた人に対して、敬意と感謝の念を払わない方がおかしい。静かに、きちっとお参りすればいい。何も、戦争に負けた日だけ行くことはない。いろんな日がある。大祭の日だってある。8月15日だけに限っていくから、また話が込み入る。日露戦争に勝った日でも行けって。といったおかげで、えらい物議をかもしたこともありますが。
僕は4月28日、昭和27年、その日から、今日は日本が独立した日だからと、靖国神社に連れて行かれた。それが、初めて靖国神社に参拝した記憶です。それから今日まで、毎年1回、必ず行っていますが、わーわー騒ぎになったのは、いつからですか。
昔は静かに行っておられました。各総理も行っておられた。いつから騒ぎにした。マスコミですよ。いつのときからか、騒ぎになった。騒がれたら、中国も騒がざるをえない。韓国も騒ぎますよ。だから、静かにやろうやと。憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。
〜後略〜
文脈的には靖国参拝はマスコミが騒ぐから問題になる。で、マスコミが騒ぐ状態なんだから、騒がれる日に参拝にいかないようにすればよい。ということを皮肉っぽく言っているのだろうと思う。でも、話の流れを見る限り、この靖国神社の参拝の話は、「騒がずに」というキーワードから途中に思いついて話し始めた印象。たぶん、聴衆へのサービスみたいな話題。
その場にいたら、会場の反応や表情からこの話題が適切かどうかが判断できるのだけど、それを切り離されて読んでみると前半でナチスを否定的に言っているので、ナチスの手口を肯定的にとらえた発言を言ったら「えっ?」となる。しかも、憲法を静かな環境で議論したいと言っていた上で「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。だれも気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね。」と言ったら「静かに議論したいというのはその意味か!」と受け取られるのはしょうがない。
誰に向けて話すのかが変わるとどういう話し方が良いのか変わるので難しいね。
で、上記の朝日のリンクを読んで一番思ったのはちゃんとやってアレなのか?というところ。
しつこく言いますけど、そういった意味で、憲法改正は静かに、みんなでもう一度考えてください。どこが問題なのか。きちっと、書いて、おれたちは(自民党憲法改正草案を)作ったよ。べちゃべちゃ、べちゃべちゃ、いろんな意見を何十時間もかけて、作り上げた。そういった思いが、我々にある。