何故、質問を思いつけなかったの?

どうやったら質問を思いつけるの?を書いておいてなんですが、諏訪耕平の研究メモ:「悪いのは自分」では解決しないこともあるを読んで、もともとの質問を受けたときの困惑を思い出したので。

諏訪耕平の研究メモ:「悪いのは自分」では解決しないこともあるでは、「卒論・修論の際の先輩や先生との会話における,論文生側の問題点がちょっとクローズアップされすぎてやいないか?」と私のエントリーに足りない点を指摘していただいている。たしかに、どうやったら卒研を失敗できるか:他人の話を聞くのをやめるについたコメントなので、諏訪さんの解釈どおり、質問者は「自分に先輩や先生への質問のスキルがなかったので自分は卒論or修論で失敗した」という認識なのだと思う。

諏訪さんは「このサイトの方はそこらへんもすごく正確に認識されている方だと思うので,恐らく他のエントリーを読めばそのへんも書いてあって,全体の中の一部としてのこのエントリーだとは思うのですが」と言って下さっているが、正直その視点はなかった。

何で、諏訪さんが指摘してくださった方向に回答エントリーがかけなかったかといえば、「具体的な質問のやり方ではなく、人の話を聞いた際の疑問・質問の抱き方のコツがあれば教えて頂きたく」というコメントを読んで、「疑問を抱けない人なんているの?」とびっくりしてしまい、焦点がそっちにいってしまったというのがその理由。コメントを読んだときに自然に湧き出た疑問が「何故、質問を思いつけないの?」というもの。

私の卒業研究や研究室関連エントリーの裏にある基本認識は、学生が質問できないのは

  1. 疑問はあるけど言語化できないからうまく質問ができない
  2. 疑問があって言語化できるけど、先生や環境により質問するのが怖くて質問ができない

というものだった。

なので、これらをどうやって克服するかというのを延々と書いてきたのが私の卒論関連エントリー。一番読んでいただいている価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれないもこのバリエーションの一つ。

なので、そもそも質問を思いつけないことがあるというのは衝撃だった。で2月9日にいただいたコメントに対して断続的に考えて、11日の朝に思いついたのが、どうやったら質問を思いつけるの?のメカニズム。タイトルがキャッチーだったせいかはてなブックマークTwitterでいろいろと注目してもらった。

で、ここまで読んでくださった方にお願い。以上に述べた経緯のとおり「疑問はあるけど言語化できない」とか「疑問があって言語化できるけど、質問するのが怖い」とかではなく、そもそも「疑問を抱けない」というのは私の想定外の話。なので、私はどうやったら質問を思いつけるの?のエントリーが多くの人、特に元コメントの質問者に役に立つかどうかについて自信がない(少なくとも私が疑問を抱くメカニズムはあのエントリーに書いてあるとおり)。なので、もし、「何故、質問を思いつけなかったのか」また「『疑問を抱けない状態』とはどういう状態か」について語れる方は、Twitterでも、ここのコメント欄でも、トラックバックでも良いのでご教示願いたい。

今後の学生指導のためにも知りたいので、みなさまよろしくお願いいたします。