演繹、帰納、仮説形成

カタチづくり:「理系と文系」より「帰納と演繹」を読んでなんか書こうと思ったのだけど、書いているうちに何を書きたくなったのかわからなくなってしまった。とりあえず、結論。演繹推論と帰納推論、仮説形成推論は全部使えるようにしましょう。どれかだけでは不十分です。

科学的論理的思考の方法または様式として、一般に、演繹(deduction)と帰納(induction)の二種類があげられます。しかしアメリカの論理学者・科学哲学者チャールズ・パース(Charles S. Peirce, 1839〜1914)は科学的論理的思考には演繹と帰納の他に、かれが「アブダクション」(abduction)または「リトロダクション」(retroduction)と呼ぶ、もう一つの顕著な思考の方法または様式が存在し、そしてとくに科学的発見・創造的思考においてはそのアブダクション(またはリトロダクション)がもっとも重要な役割を果たす、と唱えています。アブダクションとは仮説を形成する思考の方法を意味し、パースはしばしばアブダクションをたんに「仮説」(hypothesis)とも呼んでいます。アブダクションの訳語として「仮説形成法」、「仮説的推論」、あるいは「発想法」などの言葉が使われることもありますが、しかし最近わが国でも「アブダクション」という呼び方がそのまま一般にも使われていて、この言葉が定着しつつあるようです。
(米盛裕二: アブダクション 仮説と発見の論理 p. 1より)

演繹は前提(既知の事実か仮定)と原理/原則からある事実を導き出す推論方式。帰納は事実の集合から原理/原則を導き出す推論方式。仮説形成は、原理/原則と事実から前提を導出する推論方式。演繹推論の特徴は、前提が正しく、原理/原則も正しいならば、得られる結論はすべて正しいことが保証されること。帰納推論、仮説形成は推論に使った材料がすべて正しくても得られた結論が正しいとはかぎらないという特徴を持つ。なので、仮説形成で得られた仮説や、帰納推論で得られた原理/原則が整合性を持つのかどうかを演繹を用いて検証する必要がある。

帰納推論で良く言われるのは白鳥の羽の色の話。「黒い白鳥」で検索すればすぐにでると思う。仮説形成の例だとたとえば以下のもの(追記:まちがっていました。コメント欄参照のこと)

私の理解では、学位取得者に価値があるかどうかという議論の論旨は以下のとおりです。

  • a: 学位取得者が職にあぶれているという現実がある
  • b: もし、学位取得者に価値があるならば、会社や組織は学位取得者の獲得に走るはずである
  • c: しかし、事実として会社や組織は学位取得者の獲得に消極的である
  • d: よって、学位取得者には価値がないと考えられる

しかし、これは仮説生成(abduction)という推論形式であり、a, b, cのすべての前提が正しいとしても、この推論形式で導出された結論は必ずしも正しいとは限りません。上記の例でいえば、bの仮説以外にもこの現象を説明できる仮説がありえるからです。私の考える仮設は「学位取得者に価値があるということを、会社や組織に理解させることができていない」です。
「世間が必要としないものには価値がない」が正しいときの条件

また、仮説形成だと仮説が大量に導出されてしまうので尤度を定義し、最尤(もっともありえる)仮説を採用するということもする。

そういえば、以前読んだ教育×破壊的イノベーション 教育現場を抜本的に変革するには、教育の研究に関しては帰納的研究(データを収集し、原理/原則を見出そうとする研究)の段階から早く、演繹的研究(機能的研究で得た原理/原則のどれが正しいかを検証する研究)に早く進まないといけないと提言されていた。段階によって、必要となる推論方式が異なるという一例。

なので、演繹、帰納、仮説形成には得意・不得意のものがあり、それぞれに特徴があるのでケースバイケースに応じて、使い分けましょうねというお話。