ある朝鮮人家系の物語

注意:自分語りの変形ですので、嫌いな方はスルー推奨。

二つのニュースと最近の学歴話(暗黙に大学不要論)を読んでちょっと書きたくなった。

平成18年に国内で生まれた赤ちゃん約110万人のうち、親の少なくとも一方が外国籍の子が3万5651人で、新生児の3・2%、ほぼ30人に1人の割合に上ることが3日までに、厚生労働省の調査で分かった。
同年に国内で結婚し、婚姻届を出したカップルのうち、1人または両方が外国人の組み合わせは6・6%で約15組に1組。いずれの数字も増加傾向にあり、過去10年で最高。在日外国人の定着と日本社会の国際化を裏付けている。
「人口動態統計」などによると、18年に出生した赤ちゃんのうち「父親が外国人」が約1万9000人、「母親が外国人」は約2万6000人。これらのうち「両親とも外国人」は約9000人。夫が日本人、妻が外国人という組み合わせが約3万6000組と圧倒的に多く、妻の国籍は中国、フィリピンがそれぞれ3分の1で、6分の1が韓国・朝鮮だった。

法務部は3日、「国内に2年以上滞在している在外同胞のうち、“一定条件”を兼ね備えている者には、永住権を直ちに発給することを骨子とする出入国管理法施行令改正案が今月施行された」と明らかにした。
「一定条件」とは、▲韓国の一人当たりの国民総所得(GNI)の2倍以上を稼いでいる場合▲60歳以上で一人当たりのGNI以上の年金を受け取っている場合▲50万ウォン(約5万3000円)以上の財産税を納めている場合−などだ。また韓国国内で生まれた華僑が出国後に帰国しても、永住権を獲得できるようにした。
なお、来月から50万ドル(約5350万円)以上を韓国に投資し、韓国国民を5人以上雇用した外国人には、滞在期間にかかわらず、直ちに永住権を与える方針だ。これまでは200万ドル(約2億1400万円)以上を投資し、韓国国民5人以上を雇用しなければ、永住権は与えられなかった。

上の記事は、日本国内で親が外国籍の子が結構生まれているよという話。30人に1人の割合なら小学校の一クラスに1人は親が外国籍の子がいるという計算になり結構インパクトのあるニュース。下の記事は、韓国が中・上流層の移民受け入れを始めたという話。血縁至上主義の国が制度的に開かれている様子が見える。

で、何を書きたいかというと少なくとも現在までの日本は日雇い(出稼ぎ)の家庭でも、3代後には大学教員になれる社会であったということの一事例をご紹介したい。安い労働力として日本に渡ってきた一族が数代経っても安い労働力の供給源でしかない社会なんて嫌過ぎる。

うちの父方の祖父は、生まれが韓国。二号さんの子どもだったので出稼ぎで日本に来たらしい。いつ着たのかはわからんけど、祖父の享年や父の年齢から考えると、終戦間際か戦後だと思う。で、北海道や北方四島のどこかで働いていて、戦後、父方の祖母と出会ったらしい。でも、何の理由があったのか知らんけど籍をいれず事実婚状態で生活、子ども(私の父とおじさん、おばさん達)は祖母の子どもとして戸籍に登録したらしい。なので、子どもは全員生まれたときから日本人だった。祖父と祖母は5人目の子どもが生まれた段階で離婚。末っ子を除き、4人の子どもを祖父が一人で育てることになったらしい。

祖父は季節労働者として子どもを育てた。祖父が数ヶ月出稼ぎに出る、その間子ども達は「つけ」で食料を買い、祖父が帰ってくると「つけ」を払う。そして、また祖父は出稼ぎへ。という生活だったらしい。ちなみに、祖父は62歳で死ぬまでずっと同じように暮らしていた。晩年は冬のときだけ私の父の元へ来たが最後まで春・夏・秋は出稼ぎして暮らししていた。

父たちは、中学を卒業すると親元を離れ上京。当時は金の卵世代と言われたらしく集団就職が結構あったらしい。だけど、父はその就職先を嫌って退職。自衛隊に入隊した。同じころ、東北の農家の娘の母も中学卒業時に上京、准看護婦を目指して看護学校に入る。二人が夜間高校に通っていたときに出会い、そのまま結婚。母は高校を中退し、父だけが高校を卒業した。

父は自衛隊。母は国立病院の准看護婦として働き、3人の子どもを育てた。その一人が私。3人とも公立の保育園、公立の小学校+学童保育、公立の中学校、公立の高校を卒業。私は国立の大学へ行かせてもらえた。その後、親の経済的援助と運が重なり大学院まで行かせてもらい、さらに大学の教員職を得ることができた。

父方の祖父は競馬が趣味でいつも競馬新聞を読んでいた。私が小学生ぐらいに父に教えてもらったところによると祖父はカタカナぐらいしか字が読めなかったらしい。競馬新聞は二重丸、丸、三角、×などの記号と数字だけを読んでいたそうな。よう、競馬新聞買ったよな。私の父と母は高卒と中卒。父は特に何も言わなかったけれども、母はやっている仕事は同じなのに准看護婦と正看護婦で給料も昇進も全く違うという事実に直面していたせいか、子ども達の進学には熱心だった。特に私は長男だったので、よく「大学だけは出ないとだめだ」といわれた。

とてもめでたいことに、私を含め3人とも全員就職できた。父と母の基本的な教えは「自分で食べれるようにならなければならない」の一点。おかげさまで今のところ食べれている。

大学教員が本当に良い職業かどうかはさておき、一応社会ではそれなりの職業とみなされている。ゴールドカードも作れるし。住宅ローンも比較的簡単に組ませてもらえるらしい。なので、祖父から始まる一族は、経済的には最下層と考えられるところからそれなりのところまで経済レベルを上げてきたといえる。まあ、次の世代があるか、次の世代が上昇志向の輩かどうかは別だけど。

  • 一代目:出稼ぎ労働の外国人
  • 二代目:自衛隊所属の特別国家公務員
  • 三代目:大学所属の教員

まあ、何が言いたいかというと、うちのじいちゃんも父ちゃんも母ちゃんもえらいんだぞということ。ここまで、まとめてみてよく祖父は自分の子どもを一人も死なすことなく育て上げたなぁと感動する。そして、父と母もよく3人の子どもを高校まで行かせて、そのうち二人は大学に、一人は大学院まで行かせたなぁと。

うちの家系が何とか生活できてきたのは、公務員と公立の教育機関のおかげ。もし、公務員制度がなく、国公立の教育機関がなかったら、うちの家系は多分日雇いの家系のままだと思う。それぐらい、うちの父親と母親のバックグラウンドには経済的な余力がない。

社会が大学卒に認める価値というものは段々低くなってきているけど、格差を超える一つの装置としての学歴社会は維持した方が良いのではないかと思う。現在30人に1人いる親が外国籍の子どもが国公立の高校、大学を卒業して、社会の中流構成員として社会に組み込まれていくというのは、良いことだと思う。そういう意味で、国公立の高校や大学は社会の構成員の還流装置として生き残っていって欲しいと思う。韓国のように上澄みを日本に導入する政策も必要だけど既に存在する安い労働力を安い労働力から開放する仕組みも必要だ。

余談だけど、祖父が韓国人と知ったのは祖父の葬式か祖父が死ぬ2年くらい前で私が中学生のとき。それまでは、ぜんぜん知らなかった。名字が金だったのは不思議だったけど、中学生だったから韓国人とか中国人とかの知識がなくて「外人=欧米のカタカナ名前」だと思っていたので外国人だとは思わなかった。

今になってみると祖父の韓国人らしさは豚足と砂肝がすごい好きだったことに現れているのかなと思う。高校ぐらいまで、豚足っていうのはどこのご家庭でも普通に食べているものだとずっと思っていた。祖父がキムチを食べていたのを見た記憶はさっぱりない。韓国語話しているのもみたことない。祖父の得意料理は牛スジの味噌煮込み、魚の煮付け、砂肝ともやしの炒め物だったなぁ。あれって、どこの料理なんだろ。

さらに余談として、うちの母方のおばさんはみんなインドネシア人の顔をしている。純粋東北人なのに。おばさんの一人は、レストランとか行くといつも店員に「日本語しゃべれますか?」と聞かれるらしい。もしかしたら、母方に南アジア系の血が入っているのかもしれない。そしたら、私はアジアのハイブリッド。