もう、財務省ったらお茶目なんだから・・・

国立大授業料、私大並みに 財務省、5200億円捻出案

2008年05月19日21時57分

財務省は19日の財政制度等審議会財務相の諮問機関)で、国立大学予算で授業料引き上げなどによって最大5200億円を捻出(ねんしゅつ)できるとの試案を発表した。生まれた財源を高度な研究や人材育成、奨学金の拡充に充てるべきだとの主張も盛り込んだ。国から国立大に配る運営費交付金(08年度予算で約1兆2千億円)の増額論議を牽制(けんせい)する狙いがあると見られる。

試案は、授業料を私立大並みに引き上げることで約2700億円、大学設置基準を超える教員費を削ることで約2500億円の財源を確保できるとしている。「義務教育ではないので、一般的な教育自体のコストを(税金で)補填(ほてん)することには慎重であるべきだ」とし、「高等教育の機会均等は、貸与奨学金での対応が適当」とした。

財政審の西室泰三会長は会合後の記者会見で、この提言を6月にまとめる意見書に採用することは否定したものの、教育を受ける機会を損なう恐れもあり、論議を呼びそうだ。西室氏は「国立大学の授業料は個別に決められるが、相変わらず横並びだ」と指摘し、各大学に自主判断で授業料を見直すよう求めた。

この日の財政審は、与党議員らから増額要求が強まっている教育、途上国援助(ODA)の予算について「財政状態からみて増やす状況にはない」との認識で一致。「11年度に基礎的財政収支を黒字化する政府目標の堅持が必要」との考え方を意見書に盛り込むことも決めた。

財務省がツン過ぎる。お願いだから何を目指してこんな発言しているのか教えて欲しい。

追記(2008/5/20)

こういう見方もある。

現実問題として偏差値の高い国公立大学の生徒に裕福層が多いこと、財政難の折、私学との助成金格差を私学助成金の増額で解決することが難しいことを考え併せると「高等教育の機会均等は、貸与奨学金での対応が適当」という主張は極めて健全。

教員・研究者の人件費を、研究費ではなく事業運営費(OPEX)に計上していることが日本の大学を腐らせているし、これを奇貨に競争的資金や寄付で研究室を維持できない教授には去っていただき、だぶついているポスドクや後進に魅力的な就業機会を提供する方向に導ければ、前向きの政策たり得るんじゃないかな。

この方向はアメリカ型と思われるので、アメリカの例で行く場合は、教員・研究者の給料は大学開講期間(4月〜7月、10月〜2月)の9ヶ月分しか大学から支払わず(これで、人件費の1/4カット)残りの3ヶ月分は自分の研究費から補充して良いようにする。研究費は、教員の月給が税込みで40万円として120万円を研究費から充当する必要があり、かつ、それ以外に研究に必要な費用、学生の教育資金などもろもろ含めて、最低限500万円ぐらいの額があるべき。また、採択率も現在の科学研究費補助金の採択率は25%なので、採択率をせめて60%まで上げてほしい。ちなみに今の民間の研究費補助金は一口100万円が主流。

まず、先に科研費の平均額を500万円、採択率を60%に増強した上で、上記のような方向に舵を切っていただきたい。

そういえば、アメリカの大学では日本では夏休みや春休み(3月)に行われる入試業務、広報業務などをどうしているのだろう?

1)理想的には「研究者自らの発意によって行われる基礎研究を支える科研費」と、「研究者に国から目標を指定して委託される目的基礎研究としての戦略創造」とで研究者に無理のない形ですべての研究がうまくカバーできればベストです。私の印象では「そのためには日本の競争的研究費はもう3倍に伸ばす必要がある」とみています。その理由は科研費の充足率が25%程度しかないことです。残念ながら4分の3の人は科研費がもらえません。このような状況では、先生も記しているように、優秀な研究者といえども、研究費に「当たるも八卦、当たらぬも八卦」になってしまいます。

2)米国の競争的研究資金は4兆円を超え、日本のほぼ10倍です。もっとも、そのうちのかなりを彼らは大学にオーバーヘッドとして貢ぎ(高いところは 65%もとる)、また学生の給与もださねばなりません(保険まで考えると大学院生一人700万円位につく)。さらに、自分の給与のうち3ヶ月分位を研究費から出さねばならないようにできている場合もあります。しかし、にもかかわらず、この競争的研究資金の存在によって米国の大学や研究所は非常に自由な運営ができるようになっています。たとえば、ある大学がある分野の専攻を新たに作りたいと考えたとします。専攻長のやるべきことは「優れた研究者をスカウトしてくること」の一語に尽きます。なぜなら良い研究者は必ず競争的研究資金を取れるので、そこからオーバーヘッドも学生の給与も払えるので、「専攻を作ってひとを連れて来てさえしまえば良い」ということになるからです。このため、米国では競争的研究資金を取れる研究者を引き抜くために、「奥さんや家族を満足させることまで考えてスカウトをする」のが常識となっており、クリティカルマスとしての最初の数人をスカウトするためには大変な工夫がなされます。しかし、新たな専攻や研究所を作ることができる。日本の大学が変化についていけず、一方で、米国の変化がす早いのはこのような「経済合理性」によって大学が動くからと私は見ています。

3)米国の大学には定年制がなくなりましたが、これが可能になったのも豊富な競争的研究資金の存在が大きいと思います。すなわち、大学からすれば「競争的研究資金をとってくる限り、大学としては是非いて欲しい」ようになっているからです。逆に研究資金をとって来ることができない人は定年にならなくても自然と引退するようにできています。日本でも「間接経費」が導入されて以来、この点での自由度が少し増えました。定年後も研究資金がとれる場合には元の大学に、あるいは他の大学へ移籍して定年の制約のない「特認教授」として研究を継続するケースも増えてきました。JSTの戦略創造でもそのようなケースがいくつか見受けられます。