文頭の名乗りはメディアの違い

前回のエントリ「件名なしメール」にトラックバックをいただきました。

Rauru Blog: メールの文頭で名乗る?
http://wordpress.rauru-block.org/index.php/416

納得できる部分と別の考え方もあるのではないかと思う部分が
あるので書かせていただきたいと思います。

Rauru Blogのnakanohitoさんの主張

「文頭で自分の名前と所属を名乗る」というのは、日本だけの独特の風習ですよ。しかもそれは電子メールによって作られた、たいへん歴史の浅い風習です。

二つのことを主張されています。

1. 文頭で自分の名前と所属を名乗るは日本の電子メールにおける風習である
2. しかも、その風習は電子メールによって作られた歴史の浅い風習である

1については、nakanohitoさんのご提示のとおり、英語圏の方々のメールは、自分のことを冒頭で名乗らないですね。納得。

2についても主張のとおり、電子メールによって作られた風習であると思います。ただし、その解釈については、私はnakanohitoさんとは違います。

なぜ、手紙やはがきでは文頭で名前と所属を名乗らないのか?それは、そもそもはがきと手紙の別の部分に手紙・はがきの送信者の欄に名前と所属が書いてあるからだと思います。

一方、nakanohitoさんのおっしゃるとおり、From欄(ちょっと前まではSubject欄にも)日本語が使えなかったため、電子メールのヘッダには、名乗りをいれられませんでした。手紙・はがきと同等の情報量を表そうとすれば、メールの文頭に名乗りをいれるのは合理的です。なぜならば、手紙・はがきをもらった場合には、手紙なら封筒、はがきならはがきの表にまず目を走らせるのが普通だからです。

ですから、文頭に名前と所属を名乗るという風習が歴史の浅いのは当然だと思います。これは手紙・はがきと電子メールの表現能力のギャップを埋めるに考えられた合理的な方法だからです。よって、歴史が浅いという事実を否定的に考える必要はないと思います。

私は、今後ますます「文頭に名前と所属を名乗る」という風習が重要視されてくると思います。なぜならば、電子メールのやりとりが今後ますます増えていくからです。電子メールのやりとりが増えるにつれて、ごみメール(処理優先度の低いメール)も増えていきます。

情報の内容ではなく、情報の発信者への信頼を持って、情報のフィルタリングをするということをは我々は日ごろ行っています。

ですから、ごみメールを効率よく見つけるには、そのメールを出した人の属性によってメールを読むか読まないかを判断するのが便利です。メールアドレスや件名による自動フィルタリングも効果を発揮すると思いますが、その方法は、初対面の方からのメールにはあまり効果を発揮しません。

一方、nakanohitoさんのおっしゃるとおり、From欄に日本語を入れられるようになった現在、From欄をもって所属と名前の名乗りに変えることは理論的に可能になったと思います。しかし、実際は、まだメーラーの機能不足によりFrom欄で名前と所属の名乗りを行えば十分という状況にはなっていないと思います。

理由は、メールを送る相手によって自分が属している所属を変えたいときがあるからです。たとえば、会社の業務で対外的にメールをやりとりするのであれば、所属は「**会社**課」でよいと思いますが、社内的に、あるいは社外的に何かのワーキンググループ、委員会でやりとりに関するメールを送りたい場合は「**委員会」「***WG」という所属で送るほうが適切です。

しかし、現在のメーラではFrom欄でこのように細かく所属を変えるのは面倒です。よって、文頭に名前と所属をそのメールの用途に合わせて名乗るのが今のところ送り手にとって便利だと思います。

以上、送り手と受け手の双方の事情から、文頭で名前と所属を名乗るという行為は、現在の電子メールの状況に適した行為だと思います。

ですので、nakanohitoさんの

ところが世の中には、なぜそんな風習が生まれたかを考えることもなく、「文頭で自分の名前と所属を名乗るのが当然の礼儀だ」としたり顔で説教する輩に時々出会います。無知なのはお前の方だ、と毎回説教し返しているんですけどね。

と切り返されるのはちょっと攻撃的にすぎるのではないかと思います。