コンピュータが仕事を奪う

ここ数年、授業や卒論指導、研究室や飲み会の場において学生に伝えたいと思っていたことが見事にかつ分かり易く述べられている。ここまでうまく説明されていることに、計算機科学分野の研究者および大学教員の端くれとして、正直嫉妬するくらい。脱帽。

計算機科学系の学部生は必読。子育て中の皆様も必読。これは本当に良い本。

この本の何が良い点なのか?それは、計算機にとって何が得意で、何が不得意なのかをきっちりと把握させようとしている点。そして、それを丁寧に行っているという点。

計算機科学系の学科において、どういう学生を社会に送り出すべきかを考えれば、この「計算機にとって何が得意で、何が不得意なのか」を自分の言葉で他人に説明できる学生を社会に送り出すべきなのは明らか。これを把握した上で、社会を幸せにするための何かを生み出せる人材ならば、完璧。この本は、それを計算機科学系の大学卒業者でなくてもわかるように書いてあるので、脱帽(計算機科学系の学科では、この内容をより厳密に学ぶので、この本の内容だけで計算機科学系の学科に行かなくて良いと思ったならば大きな間違い)。

この本の白眉は57〜58ページのイノベーションと数学の関係について。そして、イノベーションを起こせる人材はどんな人材かの説明。営業妨害になるので引用しないけど、ぜひ、読んで欲しい。

この本を読み進めると、ある意味で絶望する。そして、楽しくない未来が垣間見える。一方で、コンピュータが我々の仕事を奪った結果として、我々は素晴らしい恩恵をこうむっている。私が、この本の存在を知ったり、本の感想をネットで公開できたり、著者の新井紀子さんに直接感想を伝えたりできるのもコンピューターが我々の仕事を奪った結果。我々は絶望する事実を踏まえて、楽しく生きていかなければいけない。楽しく生きるためには、「なぜ、コンピュータが我々の仕事を奪うのか」の理屈を理解しないといけない。

404 Blog Not Found: 職がなければ遊べばいいのに - 書評 - コンピュータが仕事を奪うにて、弾さんが、素晴らしい書評(というかこの本からインスパイアされた持論)を書いている。私もその意見に賛同する。コンピュータが仕事を奪う現在において、我々はコンピュータがこなせず、かつ、私たちが必要とする何かを見つけてそれに没頭できる自由を手にしている。

労働人口構成が第一次労働、第二次労働を経て、第三次労働へて移行しているのは、本質的に人口の増加と機械化と計算機化が原因。既に私たちは、機械や計算機に仕事を奪われていることは経験済み、その結果として、数十年前ならば想像もできないような、快適で生活を楽しくしてくれるサービスを提供し、享受している。コンピュータを憎む必要はないし、悲観して「自分は未来で生きていけない」と思う必要はない。

人間が行うほどではない、計算機でこなせるようなつまらない作業は計算機に任せて、私たちはより楽しく、面白い作業や遊びにいそしむことができるわけなので。

あんまり、まとまった感想じゃなくなってしまった。

関連

他の方の感想

博士漂流時代 「余った博士」はどうなるか?

科学・技術行政に興味がある方、大学院生のお子さんを持つ親御さんたち、大学院生のみなさんは必読。

榎木英介さんが書かれた本。Twitterで@enodonという名前で日々、科学技術ニュースを流してくださったり、メルマガを発行されていたり、サイエンス・サポート・アソシエーション(SSA)を運営されていたりして、社会のための科学・技術が成立するように日々活動されている。私は、「博士ネットワーク・ミーティング@つくば」第2回 博士ネットワーク・ミーティング@つくばノーベル賞受賞者じゃない研究者の緊急討論会で面識を得た。

話し戻って、この本は一章で今の日本社会において博士号および博士課程はどのようにみられているのか、二章で博士号取得者が大量に輩出されるようになった背景、三章で博士号取得者への典型的批判(このようなやつ)への反論、四章で博士号取得者を社会で生かす必要性とその方法、第五章で科学・技術は今後どうあるべきかについて述べている。また、付録として、博士の就職問題について4人の方々から意見をもらっている。

私は以下のようなエントリーを書いたことがあるので、だいたいのことは知っていたけれども、オーバードクター問題が既に一度経験した問題であるとは知らなかった。

また、102ページに記載されていた。アップシフトについても知らなかった。

こうして大学院の拡充が決まったわけだが、問題があった。大学院生の増加に施設整備が対応しておらず、大学院生が増えれば増えるほど、研究・教育スペースが狭隘化していくことになる。

この状況を打破するために、東大では、今までは学部所属だった教員を、大学院所属に移すことにした。教員1人あたりの学生定員が大学院の教員の方が多いので、人数に見合ったお金が入るからだ。

そして、助手より教授、助教授の方が、国から研究成果にかかわらずもらえるお金である基盤校費の額が大きいため、助手の定員が減らされ、助教授や教授が増やされた。これにより、基盤校費の増加と大学院生の増加を同時に達成することができた。これは「アップシフト」と呼ばれた。

大学の教員数を調べた時、ピラミッド型になっておらず、むしろ、逆ピラミッド型になっていたので、白い巨塔が大学教員のイメージである私にすると奇妙に思えたのだった。理由判明。私の所属大学でも助教のポストは教授、准教授より少ない(ポストはあるけど、お金がないので雇えない)。

第二章の第一次オーバードクター問題の緩和(解決ではない)の話から私が得た教訓は、ポスドク問題解決のためにはまず景気回復が必要であるということ。また、結果に時間差がある政策は、「そのときの社会的要請」を丸呑みしてたててはいけないということ。多分、選挙の洗礼が必須の政治家は結果に時間差のある政策を中心となって推進するのが苦手であると思われる。本来は、任期が長く、解散がない参議院がこういう長期的な政策を担当すべきなのだろうけど、今の参議院はそういう体制になっていないと思う。

三章での博士号取得者への典型的批判への反論は面白かった。特に記憶に残ったのは以下のもの。

  • 131ページ。博士が無能であるという意見への反論的事実の一つ、博士を雇用した会社が博士の採用数をふやしている。つまり、採用した博士の能力に満足していると解釈できる
  • 139ページ。自己責任だろう?への反論。科学と芸術、スポーツは似ているが、科学者は科学者による訓練、貢献なしに生まれない。ストリート育ちの科学者(他の科学者による訓練を受けず、独自に学び・育った)は、たぶん生まれない。少なくとも他の科学者による入門書、教科書、専門書が必要。その部分が芸術やスポーツと違う。

また、三章の榎木さんの結論「結局、博士が使える使えないの話は適材適所の問題である」というのは心から賛同する。そして、適材適所とするためには雇用の流動化が必要であるという意見にも心から賛同する。一つ前のAKB48の経済学の感想でも書いたけど、進路変更のため、あるいは、多様性を担保するためのアカデミックキャリア構築のためには、雇用の流動性がどうしても重要だと思う。

AKB48の経済学

Economics Lovers Liveの韓リフ先生が書いた本。「AKB48で経済学?こじつけかな?」と思ったので読んでみた。結論から言うと、ビジネスモデルの説明として非常にうまい解説で納得した(常に成り立つ理屈かどうかは私にはわからない)。

ポイントは

  • AKB48というプロジェクトは、先行プロジェクト「おにゃんこくらぶ」の経験と反省と、現在の経済状況を把握した上で構築されたきっちりとしたビジネスプロジェクトであること
  • プロジェクトの大前提が「不況である」こと
  • 芸能界の入口があいまいであること、人気を誰が作るかがあいまいであるという点を問題視し、そこを透明化していること
  • ファン、AKB48メンバー、プロダクション、コンテンツプロバイダーの誰もがそれなりの利益を得られるようにしている、あるいは、損害に対するセーフティーネットを設けていること
    • AKB48の仕組みは大相撲の部屋制度とよく似ていること(芸能プロダクション、AKB48プロジェクトという二重構造でリスク分散している)
    • コアなファンによる消費でエコサイクルが回るように設計されている
    • 専用劇場を設けることでテレビなどのマスメディアでとりあげられなくなっても、やっていけるように設計されている
  • 問題点として入口はうまく設計できたが、出口がうまく設計できていない

途中に登場する日本型雇用システムについては以下のように説明されていた。

  1. 内部と外部では待遇の差が歴然としている
  2. 外部から内部に入るハードルは高い
  3. 一度、内部に入ると生活がつづけられる程度の仕事が供給される
  4. 年齢が高いほど仕事がこなせるので、給与が高くなる傾向にある

現在のAKB48の人気のあるメンバーが上記のような特徴を示しているとのこと。でも、労働者一人一人からしてみると雇用が確保されていないので、これを雇用システムの特徴というのはちょっと違うような気がする。日本型労働市場の特徴といったほうが適切なような気がした。

ABK48の経済学を読んで考えたことは、日本のアカデミックキャリアの話。テュニアトラックやポスドクの話は、AKB48のシステムでいうと入口改革の話。大学教員や職業研究者になる入口の部分の曖昧さ、不透明さを無くし「私でも挑戦できるかな」と思わせ、人を呼び込む。でも、アカデミックキャリアの話で重要なのは、進路変更と出口の話だと思う。

AKB48モーニング娘などは、10代前半〜20代前半までを対象として呼び寄せ、ふるい落とす。この年齢ぐらいだと大学進学があるので進路変更は比較的容易なのだと思う。一方で、アカデミックキャリアの場合、進路変更を考える段階が20代後半〜30代前半になる。ここでの進路変更がこれまでの自分のキャリアを全否定するしかないと、進路変更は容易でない。いままでのキャリアを20%ぐらい活かせる進路変更ができるようにしないといけない。

また、AKB48もうまくできていない出口の部分。すなわち、AKB48から卒業に対応する。研究者からの卒業の部分もなかなか難しい。研究能力および意欲は、分野と個人差が激しいので年齢で一律に研究者から卒業させるのはうまくない。また、研究者は研究する自分が一種のアイデンティィになっていることが多いと思うので「研究をやめなさい」といわれるのは人格否定されたような感じを与えてしまう可能性もある。

給与の問題については、教授職につけば年間800万〜1000万円の給与が10年ぐらい続くので、それほど細かいこだわりはみせないと思う。「お前は、もう研究者として役にたたない」というレッテル張りがプライドを傷つけるのだと思う。また、研究を行うために必要な場所、機材、人材へのアクセス手段を取り上げられるというのも反発の原因なのだと思う。

プライドを傷つけず、かつ、研究を続けられる優秀な人材をキープしつつ、かつ、ポストを空けるためには、60歳以上向けのシニアポスドク制度を用意したらどうだろう。シニアポスドク制度を用意した上で、日本の大学および国立系の研究機関は大学教員および研究者の定年を60歳とする。

このようにすれば、シニアポスドクに応募する気力の無い方についてはリタイアを促せるし(周りに対しても研究を継続しなかった言い訳がたつ)、気力と能力がある方々は、気力が尽きるまで研究者として活躍してもらうことができる。

また、研究を続ける気力はないけど、食い扶持を稼がなければならないという人たちにむけて、リサーチアドミニストレーター職を提供できれば、人材の有効活用が可能ではなかろうか。

止まれ。AKB48の経済学は、このようにいろいろと私に考えるネタをあたえてくれた良い本だった。

アウトプットすることとそれを誰に見せるかは別

前提がわからないので、書いてある内容だけから感想。私の半径5mの観察だと、ほとんどの人はアウトプットを躊躇する(詳しくは、価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれないどうやったら質問を思いつけるの?などのやりとりをご参照ください)。

ほとんどの人は他人の内面など読み取れないので、アウトプットとして外部に表現されないものについては「存在しない」ものと判断する。また、自分自身で自分が何を考えて、何を感じていいるのかというのは案外わからないもので、何かしらの形で自分の外に出して見ないと理解できない。

リンク先のエントリーでは、才能がないのにそれに気が付かないふりをしてつまらないものをアウトプットし続ける人に対して不快感を呈しているけれども、アウトプットしなければ、自分に才能があるかどうかすらわからない。

  1. 自分の外に何らかの形で吐き出す
  2. 吐き出したものを誰かに見せて評価してもらう
  3. 吐き出したもので誰かを感動させる

他人を感動させられないアウトプットに価値はないのは確かだけど、価値があるものしかアウトプットしてはいけないという制約を自分に課すと、アウトプット自体ができなくなってしまう。まずは、吐き出すことが大事。

十分に吐き出せるようになったならば、その後に他人に見せてよいものとそうでないものに切り分ける作業をできるようになれば良いと思う。常に価値あるアウトプットをすると思われている人は、他人に自分のアウトプットを見せて良いと判断するフィルタリングの基準が優れているのだろうと思う(自分の内部に他者の目がある)。

ガンガン吐き出して、くだらないアウトプットで世界を埋め尽くしてしまえば良い。