Twitter上での議論フィルタリング基準

最近、Twitterの自分のTL上で論争的な事柄に関して、荻上チキさん提唱の「セレクティブエネミー」「道化効果」でやりあっているのをよく見るようになり、どんよりした気分になっている。


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東日本大震災における原発事故から始まる脱原発・反原発の話、HIVワクチン、ニセ科学批判批判、リフレ&アベノミクス話、ネットフェミ、ネトウヨ・パヨク、福島の甲状腺ガン検診、北海道地震による全道停電、トリチウム汚染水などの海洋投棄、などなど。激しく論争している人たちが互いにどこまでが合意していて、どこからが譲れない事項なのでやりあっているのかがわからない。

たぶん、互いにやりあっている人たちにとってはどこまで合意しているか、どこからが譲れないなのかが同陣営内で「当たり前」になりすぎていて、ことさらにそれを説明する必要がなくなってしまっているのだと思う。エコーチャンバー効果によって集団極性化が進んでいる状態。

で、どんよりしつつ自分のTLを眺めていて感じたのが「セレクティブエネミー」や「道化効果」にはまっている状況を示す一つの基準として以下のものがあるのではないかと思った。

  • 論争相手に敬称をつけなくなっている(ただし、有名人や公人は除く。有名人や公人は敬称なしで呼ぶ場合も多いため)
  • 「馬鹿」とか「あほ」とか素朴な罵声でなく、論争相手を代表とするグループに変なあだ名をつける(例:「放射脳」とか、「お理工さん」とか)

相手に敬称をつけなくなるのは、敬称をつけるのも面倒になるほど鬱憤がたまっていたり、うんざりしているあかし。つまり、冷静じゃない。相手に変なあだ名は身内だけに通じるジャーゴンであるため、これを多用するということは、文脈を共有する仲間だけとコミュニケーションをとっているということ。こういう論争の外で眺めている人たちを考慮しなくなっている論者の議論を理解するのは大変にコストが高いのでとりあえずフィルタリングしておいてよいのではないかと思う。

特に直近の北海道地震による全道停電、トリチウム汚染水などの海洋投棄の話は何を理想として、どこまで合意できていてどこから論争しているのかが全然見えなくて、とってもどんよりした。どの点を合意して、どの点からわかれているのかを説明してくれている例としては、意見に賛成するかどうかは別として以下の記事はとてもよかった。
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