多分、とらわれていると思う。今でも、今回の福島第一原発の事故がチェルノブイリ原発事故と同等および大きく超えるという話は、今でもいまいちピンとこない。子どものころに見聞きしたイメージのチェルノブイリ原発事故は、この世の終わりのような印象を受けたけど、自分としてはこの世が終わる気がしない。関東に居ること、生活の基盤がすべて関東にあり、どこにも逃げられないことが原因なんだろうか。
上に書いたように、例えば福島県の結構なエリアでは非常に高い健康リスクがある「かもしれない」わけですが、避難等が指示されているのはごく狭いエリアに留まっています。
〜中略〜
上でみたように、国・東電が今回の事故について積極的に情報発信しないであろう、むしろ、放射性物質の放出についても放出したものの影響についても可能な限り小さいめに評価しようとするであろう、ということは、彼らの立場に立ってみれば極めて自然なことと考えられます。そうすると、例えば原子力工学の研究者、学会、放射線医学の研究者、といったところにも(もちろん、個人差はあるにしても)同様なバイアスがかかることは避け難いと考えるべきでしょう。
〜中略〜
これは単に研究者というのは大抵保守的というか頭が固いというかそういう傾向があって、簡単に考えを改めない、ということによっています。実際に新しい研究をしようという時には、この「頭が固い」という特性は実は必要なものであり、自分の信じるところをそんなに簡単にくるくる変えるようでは新発見なんかできません。さて、では、当初(というか現在まで一貫して)福島の事故の規模、影響を過小評価してきたのは何故か、というと、個人的には
- これほどの規模のものとは信じたくない、という感情
- 大きい、とは政府、東電を含めてみんないってないから多分小さいんだろう、という判断
があったのではないかと思います。また、「大きいんじゃないか」という発言をすると「権威である××さんがそんなことはないといってるのにお前はデマを広げるのか?」といったたぐいのことをいってくれる人が一杯いたらしいという話も聞きます(私は特にそういう経験をしていないので良くわからないのですが)。
まあ、その、正常性バイアス、パニック神話、集団浅慮というようなキーワードで理解してしまっていいのかもしれません。
正常性バイアスについては以下の記事が詳しい。
一方で、上記エントリーで早野さん、菊池さん、野尻さんが「メルトダウンがおこらないといっていた」というのは、当時、TLを必死で追っていた自分としては違和感がある。あのときに騒がれていたメルトダウンと今現実に起こったメルトダウンは全く違うものだと感じている。15日23:00時点での福島原発の状況について私の理解を書いたときのみんなが心配していたメルトダウンは「圧力容器と格納容器の双方に穴があいた上で、爆発が起こる」という状態。今でもメルトダウンの意味がばらけていると思う。
早野さん、菊池さん、野尻さんが言っていたのは、「メルトダウン=圧力容器と格納容器の双方に穴があいた上で、爆発が起こる」だったと思う。崩壊熱で圧力容器と格納容器の双方に穴があくから海水を注水しなければならないって、ずっと言われていたし。
福島第一原発の収束が数年単位というのも早野さん、菊池さん、野尻さんたちのTLで知ったはなしだったと記憶している。あとはMIT原子力理工学部による「崩壊熱」についての解説かな。
あと、大気中への放射性物質の放出はまだ止まっていないのかな?主たる放射線源がヨウ素からセシウムになったことから、大気中への放射性物質の放出は止まっていると解釈していたのだけど。