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指導教員はコミュニケーションの仕方を工夫しなければいけないという話

以下のエントリーにコメントをいただいた。当該エントリーの件に関しては、コメントに書かれているような方法でのコミュニケーションは当時とっていなかったけれども、コメントに書かれているようなつらい思いをした方もいるということでコメント転載。

next49.hatenadiary.jp

以下、当該コメント(書式の追加はnext49)

今年、君は卒論に苦しんだね。君が卒論に苦しんだ理由は自分でも分かっていると思うけど、常に外部に正解を求めたことにあるんだ。私が「どうして、それが正しいと思うの?その理由を教えて。」と聞くと、いつも君は表情を凍らせて黙ってしまったね。何度も何度も「研究には正解とか不正解とかない。誰も答えを知らないから研究になっているんだ。だから、自分の主張をとりあえず述べて、相手の反論が正しいと思えてから自分は間違っていたと考えれば良いんだよ。」と伝えたのだけど、最期最後まで君は自分の主張の正しさを自分の言葉で言えず、常に私の保証を求めたね。はっきり言ってそれが私にとっては本当につらかった。
価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない - 発声練習より)

なんて言ってますが、本当にそうなんでしょうか?学者の方って自己の正当性をとても評価していらっしゃるけど、生徒へ向けて言っていることが片言で日本語の体をなしていなかったり、まともに伝わる言葉でなかったりしますよね。
今回の場合も指導教員のあなたが、学生に「どうして、それが正しいと思うの?その理由を教えて。」と聞いたのではなく、ただ一言「本当に?」といっただけなのでは?


それなら学生の表情をこわばらせるのは至極もっともなリアクションです。学生は嘘をつくつもりなどさらさらないのになんの根拠なくあなたに疑われたわけですから。


このケースの場合あなたの価値観は重要じゃありません。大事なのは正常な形式で日本語をあなたが発することができるかどうかです。こういうケースはあなたに限らず多くの学者が経験していることと存じますし、また、一度や二度の経験じゃないでしょう。


あなたのコミュ力が標準的な人間以下にあることが主要な問題で、あなたの論理は全て己のコミュニケーションの下手さ加減を、自身よりふた回り以上年少の人間に押し付ける卑劣な論理です。

君が雑談ならば私とも明るくおしゃべりできるのに、研究の話となった瞬間に凍り付いてしまうのは、雑談は自分の感情をベースに話せるので自信を持てる(自分の感情だもの、正しいも正しくないもない)のに対して、研究の話は自信がないからだよ。

どうして、自信がなかったのかといえば、たぶん、間違うことに対して恐怖をいだいているからだと思うよ。何で間違うことに対して恐怖を抱いているのかというと、まだ君には精神的な背骨が育っていないからだと思う。君は、自分の価値判断の基準を外部に委ねており、自分の内部にそれがない。君が自分の価値判断の基準だと思っているのは、外部に依存した「優等生な自分」「良くできる自分」という役に立たない基準なんだ。
価値の判断基準が自分の外にある人間は表現者になれない - 発声練習より)

なんて言ってますが、これも研究が行き詰まって今後の指針について学生が話しにきたのを、あなたは何もしないで何も教えることができないから、学生に自信がないとか言って、「あなたの研究能力が指導教官として不十分である」ことを学生の心理的要因に転嫁しているだけですよ。


学生と接するうちはあなたは研究者ではなく教育者として、学生の保護者の資金により大学に雇用されているのだから、学生が、あなたの判断にではなく、研究者として教育的意見を求められるのは当たり前かと。
もしあなたがそれを辛いと感じるのであれば、大学の研究者として、素養がなく資格がないのでしょう。あたりまえのことを辛いと思うなら、仕事を辞めてみて転職するのも一つの手と思いますよ。


かわいそうなので少しあなたの生い立ちについて考えてみました。あなたは学生の頃(と言っても大学教員として学校にいるのだからある意味であなたは未だに現役の学生です)から人とつるむことができず、一人で勉強をして、一人で研究をしてきた。大学教員がゼミを開き学生にオープンな意見を期待している場面であっても、あなたは頑なにだんまりを決め込んだ。今でもそれは変わらない。年長・年少関わらず、あなたは外部の期待や意見に関わらず、常に自分中心の世界で、誰にも理解されない状況を作っていた。そして、今、誰にも理解されない状況が仇となり学生の指導が行えない。あなたの所属する職場(大学)は優秀な学生が多く、放っておいても自力で研究できる力を持っている。しかし、人と積極的にコミュニケーションの取れる体育会気質の人間もいる。彼は地道な努力により入学したため、大学のいろは何て知る由も無い。当然、大学の研究を知るため、その第一線にいていた教員に教えを請うだろう。しかし、あなたは、あなたに意見を期待されている時でも常にそれを無視して、内省に執着してきたため、もはやあなたには他人を指導できるだけの言葉はない。


あなたは誰かから接せられるだけで、あなたのコミュニケーション能力の不足を認識してしまい、学生を憎むようになった。


まあ、そんなあなたでも学生は我慢したりスルーして卒業しているので、やはりあなたの指導教員としての能力は顧客、もしくは利用者たる学生からも期待されていないのでしょう。


何もしないでお金もらえているのだからもう少し社会(お金をあなたに与えるものたちの集団)に感謝してあげてもいいと思いますけどね。だって、あなたの研究って学生の研究がベースになっているのだから。


あっステレオタイプを想像していただけなので間違って判断していたらすみませんね。

得られる教訓

少なくともここ10年くらいの私の感覚では「本当に?」も「どうして、それが正しいと思うの?その理由を教えて。」もどっちも理由を尋ねているので大差はなく、何の感慨もなく理由を説明してしまう。でも、学生の立場で、しかも、理由を根掘り葉掘り聞かれた経験が少ない人にしてみれば「本当に?」は言葉足らずで、「どうして、それが正しいと思うの?その理由を教えて。」と聞くべきなんだろう。


当時は、学生に近かった年齢も、だんだん学生の親御さんに近い年齢になってきているので(もっといくと学生の祖父母に近くなる)言い方には気を付けたいと思う。