日本の理系の常識は、世界の非常識? − 公的資金での研究は、国策に沿う必要があるのか?については、単に質問に来た人がおかしいだけ。なので、「あなたの常識は、世界の非常識? − 公的資金での研究は、国策に沿う必要があるのか?」というタイトルで、批判対象を一部の人に縮めるならばいろいろと示唆的なエントリーだと思う。
ポスター発表で、ディスカッションのために設けられた時間は3時間でした。終了も近いころ、一人の日本人男性が近づいてきました。
かっちりしたスーツ姿、30代と思われるその男性は、氏名・所属が記載された来場者バッジを手で隠しながら、強い口調で、
「この発表は過去に日本で行っているんですか?」
と切り出しました。どこの誰とも名乗らずにいきなり喧嘩腰? 学会で許される態度ではないです。私は、
「過去に同内容の発表を日本で行ったことはなく、最初の発表が国際学会となったのはタイミングとめぐり合わせの問題です」
と説明しました。すると男性は、
「なぜ、先に海外でやるんですか? 日本で発表して広く議論されてから、海外に持っていくのが筋ではないんですか?」
とか詰問を続けました。
(日本の理系の常識は、世界の非常識? − 公的資金での研究は、国策に沿う必要があるのか?より)
この質問に来た人が失礼で意味がわからないのは賛同するけど、以下の事実から自然科学・工学の研究者は「日本政府の意向に真っ向から異を唱える内容の発表が国際学会で行われること自体を問題にする」と発展させられるのは困惑する。
AAASの年次大会には、毎年、概ね200人程度の日本人が参加しています。シンポジウム登壇やポスター発表のために参加する20名程度、報道関係者5名程度を除き、ほとんどは大学や研究機関の広報担当者です。広報する内容は、どうしても自然科学・工学に偏ります。なにしろ科学雑誌「Science」の発行元であるAAASの年次大会なのですから。
(日本の理系の常識は、世界の非常識? − 公的資金での研究は、国策に沿う必要があるのか?より)
リンク先エントリーの質問への私の回答は、科研費などの競争的資金に基づく研究ならば、申請時のテーマおよび研究目的に基づき研究を進めるべきだし、基盤的経費(国立大学の運営費交付金や私立大学の補助金が原資の学内で配分されるテーマに依存しない研究経費。近年、急激に減少中)ならば、原資が税金なので研究成果をできるかぎり公開し、国民に還元すべき(昨今は論文発表・学会発表以上のことが求められる傾向にある)。最近は国策に基づき課題が設定される課題設定型の競争的資金が多くなり、課題が設定されていない科研費との二本立てになっている。そういう意味で、国策に沿わないと研究費が取得できない状況にあるのは確か。
でも、こう思っている人を多数派にされると困惑する。むしろ、基盤的経費を増やす、せめて、課題設定型じゃない科研費を増やして欲しいというのが分野問わず多数派の意見だと思う。
ただ、日本の
「国が決めて推進するのが当たり前」
「公金で行われた学会発表は、ふつー、国策に沿うものでしょ?」
という感覚は、「そこがヘンだよ日本人!」ものです。
(日本の理系の常識は、世界の非常識? − 公的資金での研究は、国策に沿う必要があるのか?より)
参考
- Science Portal:基盤的経費削減に危機意識高まる
- 総合科学技術・イノベーション会議 基本計画専門調査会 (第1回)H26.12.4 :これまでの科学技術イノベーション政策を振り返って(PDF):「なお、課題達成型アプローチについては、基礎研究の多様性の担保や、先駆的・挑戦的な研究開発に与える影響等について懸念を指摘する声もあるが、日本のトップクラスの研究者を対象とした調査によれば、基礎研究や人材育成への影響についてプラスの意義が一定程度認められている。」(pp. 2-3)
上記エントリーの著者とは直接面識があるので、直接言えば良い話なのだけどカウンター意見もネットで見つかるようにしておかないと、理工系研究者がみんなおかしいという主張を印象が残ってしまうのでこのエントリーを書いた。