失敗できる場所で失敗する

失敗できる場所を確保 or 用意しそこで試行錯誤するというのは重要だなと思わされる話。私も女性とのおしゃべりを勉強できる場所を用意しないといつまでもしゃべれないや。

うっかり発言で自分の足を引っ張ってしまうことを恐れるあまり、何も言えないサラリーマンが、今、急増しているんです。

「そんなら、場数を踏む場所を見つけたらどうですか? 今あんまりしゃべり慣れてない人が、突然失敗せずにうまくしゃべれるようになるなんて、まず不可能やと思うんで。スナックでもガールズバーでもキャバクラでもなんでもええんですけど、行きつけの店があるでしょう。とにかく失敗できる場所を探したほうがいいですね。できれば『つまんねえなぁ』って言ってくれる人のいる店がいいですね。お世辞抜きの、リアルな反応がわかりますからね」
DIME:今田耕司さんに聞く老若男女の心をつかむトークの心得より)

サッカーの場合。JFAアカデミー福島の設立人の一人の田嶋幸三さんの著作より。

私たちは、これまでに見たことのないような創造的なプレーをする海外のサッカー選手に出会ったとき、大きな驚きと素晴らしい感動を感じてしまいます。そうした「クリエイティビティ(想像力)」をどうやって育てていくか、というなら、失敗を重ねながら育てていくしかないのだろうと思います。世界的にレベルが高くて強いヨーロッパ選手たちは、子どもの頃、それも相当幼い頃から、草サッカーをしてきたのではないでしょうか。草サッカーのよいところは、どんな失敗でも許される、という点です。失敗をたくさん積み重ねていく中から、「なぜ失敗したのか」「その原因は何か」「どこをかえていけばよいのか」、ということを考えるに違いないのです。

クリエイティブな能力は、幼い子どもの時にこそ、育つ。「答えはひとつとは限らない」という経験を、みんなでトライしなくてはいけません。「自分ならこうしたい」「私はああしたい」「あっ、これで失敗しちゃった」と、多くのさまざまな体験を通して学ぶ中から、クリエイティブな力が育ち、自己決定力が備わっていくのです。

〜節がかわって〜

授業で質問を投げかけた時、日本の子どもたちは、しーんと静まりかえる。なぜなら、学校というところは「間違ってはいけない」場所だという考え方が、心の中に染みついてしまっているからです。だから子どもたちは、なかなか「自分の考えを表現する」というリスクを冒そうとしません。

しかし、ちょっと考えてみてください。こうした環境の中で成長していく子どもから、失敗を恐れない、勇気あるストライカーが育つでしょうか。ストライカーとは、まずは「オレが考えたやり方で挑戦する」という、失敗することを恐れない精神から生まれるものなのです。

「言語技術」が日本のサッカーを変える p.17より)

追記:学校や研究室は「失敗してもOK」と明言して、そしてその環境を維持する必要がある

はてなブックマークコメントより

  • 当事者が、何を基準に「ここは失敗できる場所だ」と認定するかは人によって違いが大きいんだよな
  • いやー、日本には「失敗した人を笑い物にする」文化があるからねぇ。この記事に「いいね!」してる人、他人の失敗を笑ったこと、一度もない?失敗した人を「ホント馬鹿だよねー」って笑い物にしたこと、ない?

お二方がおっしゃるとおり。だからこそ、学校や研究室の運営者は「失敗してもOK」と明言して、そしてその環境を維持する必要がある。失敗を見なかったことにするのではなく、「失敗している」という事実や「失敗した結果によるデメリット」をちゃんと指摘した上で、失敗したことを責めない、嘲らない(not 笑わない)。そして、再びやってみることを推奨する環境を用意しないといけない。

失敗してもOKな場は努力して構築して、維持しないと自然には出来上がらない。