lessorの日記:大阪市「育て方が悪いから発達障害になる」条例案について経由で知ったのだけど、家庭教育支援条例 (案)が変。発達障害の方に対するコミュニケーション手法が共有されて、全員が生き易くなるのはとても素敵なことなのでそうなってほしい(そもそも、自分にも何かしらの障害があるかもしれないし)。でも、家庭教育支援条例 (案)は、発達障害を無くすることができるという前提の下でどう無くするか(予防するか)という話になっている。「ある」ものと考えて「どう一緒に生きるか」ではなく、「ないはず」のものが「ある」ので、「予防」して「社会から無くそう」としていう。
「生まれつき凸凹がある障害」ということなので「ある」もので、とりあえずは今の医療技術では「ない」ことにできないものだと思う。
発達障害は「先天的なハンディキャップなので、ずっと発達しない」のではなく、発達のしかたに生まれつき凸凹がある障害です。人間は、時代背景、その国の文化、社会状況、家庭環境、教育など、多様な外的要因に影響を受けながら、一生かけて発達していく生物であり、発達障害の人も同様です。つまり、成長とともに改善されていく課題もあり、必ずしも不変的なハンディキャップとはいい切れないのです。
( 発達障害情報・支援センター:発達障害を理解する > みなさんに、わかってほしいことより)
追記:この案の先行例が埼玉県らしい
で、自民党の中長期政策体系を読んだときも思ったのだけど、どうして、自分たちが受けた子育てが伝統的だと思い込むのだろう?「理想的な子育て環境を国や自治体で作ろう!」という志は素敵で応援するのだけど、「理想的な子育て環境=伝統的な子育て環境」というスタートから議論を始めるのはおかしい。伝統的な子育て環境が本当に理想的であるのかわからないし、現在の状況にあっているわけでもない。この思考の進め方はまったく科学的でない。
かつて子育ての文化は、自然に受け継がれ、父母のみならず、祖父母、兄弟、地域社会などの温かく、時には厳しい眼差しによって支えられてきた。
しかし、戦後の高度成長に伴う核家族化の進展や地域社会の弱体化などによって、子育ての環境は大きく変化し、これまで保持してきた子育ての知恵や知識が伝承されず、親になる心の準備のないまま、いざ子供に接して途方に暮れる父母が増えている。
近年急増している児童虐待の背景にはさまざまな要因があるが、テレビや携帯電話を見ながら授乳している「ながら授乳」が8割を占めるなど、親心の喪失と親の保護能力の衰退という根本的問題があると思われる。
〜後略〜
(家庭教育支援条例 (案)の前文より)
歴史学、民俗学、社会科学のみなさまにはぜひこの「伝統的子育て」というものが、ここ3世代ぐらいのローカルな常識であることを説明する資料や理論をWeb上に(Wikipediaなどがベター)ガンガンあげていただいて、せっかくの志が変な懐古主義に陥らないようにするためのガードレールを作っていただきたい。以下、子どもを家庭だけで育てるっていつからの「常識」?を転載。
子どもを家庭だけで育てるっていつからの「常識」?
病児保育のNPO法人フローレンス代表 駒崎弘樹のblog:全国のお父さんお母さん。自民党政権になると、0歳児保育が無くなるそうですに引用されている自民党の中長期政策体系の引用部分を読むと、こういう話にこそ民俗学や教育史学の研究者の方々からカウンター情報の提示があると良いと思うのだけどなぁと思う。
第6分科会(教育:町村信孝座長)は、「民主党は『子どもは社会が育てる』という誤った考え方でマニフェストを作った」と批判。「0歳児は原則、家庭で育てる」とし、家庭保育支援の強化を訴えています。また、学校の式典で国旗掲揚と国歌斉唱を義務化する法律の制定なども盛り込みました。
東北地方出身で金の卵世代の自分の親の話を聞くかぎり、子育てするのは年長の子どもの仕事か畑仕事がしづらくなった高齢者の担当といっていた。親は、畑仕事しているから日中は子どもの世話をしない(できない)。核家族化が進んでいる&少子化が進んでいる&義務教育がほぼ100%達成されている今において「家庭」で育てるのが可能だと思っているの?今までの日本にそんな時代があったの?
団塊の世代をうらやまない理由のときに書いたことをそのまま転載。
専業主婦がどうのこうのとかも、第一次産業ではほとんど専業主婦なんてくくりは存在しないでしょうに。それが日本の伝統だみたいな話されるのびっくり仰天。専業主婦が発生するのは明らかに第二次産業と第三次産業において。それが日本の大半になったのは上の引用を見る限り1980年代じゃない。今の30代の人たちが子どものころからスタートしたこと。その前は、日本の3分の1は専業主婦を置くことが不可能な第一次産業がメイン。
小さいときは母親が家にいることが重要という議論があるけれども、今の団塊の世代の3分の1は専業主婦がいない家庭で育ったはずだから、結果として家に母親がいようがいまいが子どもは案外丈夫に育つという証明になっているのじゃないかとしか思えない。仮に子どもの成長に差がでているとしたら、それは母親が家にいることが可能であるという経済力の差ではないかと思う。