「無い」ことを経験させるのが重要かな?

学校掃除ってあんまり要らない気がする。生徒じゃなくて業者が掃除すれば学校ももっときれいになるのに…。

から始まるお話。

確かに中学校のときにはそう思っていた。それで、掃除が無い大学に入って思うことは「自分が掃除しないで良いとなると平気で汚すヤツラが増える」という事実。また、実家に居たときには、脱いだものを脱ぎ散らかしたり、ゴミを片付けなかったりしていたのに、一人暮らしをするとめんどくさいながらも、ちゃんと片付けるようになるという経験。いわゆる「ただ乗り」の問題。

高校時代のある日、同じ部活の友達が「俺はポイ捨てとか別に悪いと思わない。ゴミを片付ける職業の人がいるんだから、仕事を作ってあげていることになるので別に良いと思う。」と言い放った。そんな発想が全く無かったので非常に衝撃を受けた。

業者を雇って掃除させるようになると、上記のような発想が助長される(一応、筋は通っている)。よって、自分が掃除するからなるべく汚さないようにしていた人が、そうしなくなるちおう恐れがある。

最初の話に戻ると、そもそも、今過ごしている環境が綺麗すぎるのがいけないのではないかと思う。その綺麗さが、誰かが維持しているから成り立っているものであるということがわからず、ほうっておいても綺麗なままという勘違いがあるのじゃなかろうか。

そこで、綺麗である状態は誰かが維持しなければすぐに崩れることを体験すれば良いと思う。まず、全校的に1ヶ月掃除しないことに決めて、学校生活を送ってみれば良いと思う。最初の1〜2週間はなんとも無いだろうけど、徐々に汚さに目が向くはず(小学校や中学校だと半月で十分汚くする可能性がある)。梅雨あたりがいいんじゃなかろうか。すぐにカビがでるし、腐るし、食中毒が出始める時期だし。