何を科学リテラシーとするか?

科学リテラシーが何かはさておき、科学リテラシーが低いことで我々にとってどんな不利益があるかというと、専門家が正しいことをしようとしても我々自身がそれを阻んでしまうということが起こりえるというのが一番の不利益だと思う。世論のバックアップがなければ、専門家が科学的知見に基づいて正しいことをしようとしたとしてもそれを成し遂げることはできない。「自分が望んでいることなんだから、どんな不利益がでても良いじゃないか」という意見もあろうが、帰結を理解していて不利益をこうむるのと、利益があると誤解していて不利益をこうむるのでは話が違うと思うのが人情。

典型例が新型インフルエンザーへの対処、食品偽装問題への反応、BSE問題での反応など。

一方で、何を持って科学リテラシーとするかといえば、社会の状況や生活環境においてどの科学的事実を「常識」として知っておいたほうが便利であるかというのは異なると思う。なので、考え方を中心として構成し、その考え方を実感・納得できる事例をいくつか学べるようにしたほうが良いと思う。

ニセ科学批判批判で登場する科学への(科学者や専門家への)素朴な疑問が何を科学リテラシーの中心としておくかのヒントになるのではないかと思う。

あとは、BSEや食品偽装に関して世間や自分がどう反応したのかそれはなぜかというのも良い突破口に思える。

これを忘れちゃいかんというかこれをベースとするべきだ。