表裏一体の発言ではあるけれど、なんだか残念だ。後者のエントリを読んでいい先生だなあと思っていたので。勝手に残念がっていてすみません。
確かに、私の説明不足でした。
我々が論文の物語的に必要だと伝えた実験については、君が期限以内にできないと思っていても必要なんだよ。しかも、君が期限以内にできないと思っている理由は、君の思い込みで、君が明らかにすべき部分と関係ない部分に君がこだわっているために時間がかかるんよ。
このような悪循環を防ぐには、まず第一に「卒業研究・修士研究はあくまでも試験であり、これの出来、不出来で人生が左右されることはない」という事実を教員と学生の両方が認識する必要があると思う。
上記の発言は私の中では矛盾していないんです。どうして矛盾していないかというと叱られるのを待つな!そういう様子見ると無視したくなるわ!で私が愚痴を述べている相手は、試験を超えられるレベルになっていないからです。卒業研究・修士研究時の悪循環を防ごうで書いたように
博士研究は別として、卒業研究と修士研究は成果ではなく努力を評価の対象としている。
のです。努力とは何か?ざっくり言えば、他人から見てある方向へ向かって行動し続けているということが分かるということです。私が愚痴を述べている彼は私からみて(教授からみても)「ある方向へ向かって行動し続けている」ということが読み取れないのです。
「卒業研究・修士研究はあくまでも試験であり、これの出来、不出来で人生が左右されることはない」というのは事実ですが、そもそも修士研究として成り立っていないのであれば話は別です。何を持って修士研究として成り立つかというのは分野によって違いますが、少なくとも以下の3つの条件を満たさなければいけないと思います。
- 修士研究のテーマとして取り上げる問題が(ある分野において)解決すべき問題であること
- 修士研究の成果が(学会に発表できるほどではないにせよ)新しいものであること
- 修士研究の目的に対して、その目的を達成できたと言える最低限の成果があがっていること
私が卒業研究・修士研究時の悪循環を防ごうで述べた「卒業研究・修士研究はあくまでも試験であり、これの出来、不出来で人生が左右されることはない」というのは、上記の3つの条件を満たした上での話であり、とりあえず修士研究をやってみたら誰でも修了させるべきであるという意味ではありません。
全力で修士研究に取り組んでみた結果、その成果がつまらないものだとしても、その成果に至った過程を評価するということであって、過程すら評価できないのであれば、やはり社会に「修士」として送り出すことはできないと私は考えています(というか、これが私のボス、あるいは指導教員の考えです)。
私の愚痴の相手は、彼自身が立てた研究の目的に対してその目的を達成できたという成果をあげられていないのです。その目的は、私が強制したわけでもなければ、教授が強制したわけでもありません。彼が立てた目的です。彼の目的からすれば、ある実験が必要不可欠なのに、彼はその実験を行えないという。そうであるならば、目的を達成できたと言える成果が得られていないので、そもそも修士研究として成り立ちません。だから、彼には修了できない可能性があるのです。
彼の視点にたって言えば、彼は多分「自分はすごい努力をしている」と感じていることと思います。でも、卒業研究・修士研究時の悪循環を防ごうで書いたとおり、見当違いの努力は修士研究を終わらせるという観点からすれば意味がないんです(人生においてはどうなのかわかりません)。
私が先のエントリーで愚痴を述べた彼は「悪循環」に陥っています。私と教授はわれわれの能力の範囲において彼が悪循環に陥らないように全力を払ってきましたが無理でした。期間限定子育て代理に書いたとおり、彼が育ってきた環境の持つ説得力に私や教授の説得力は敗れたということです。まあ、私のボスはしたたかですから、彼が悪循環に陥っているのを逆に利用して、彼に最期のショック療法を与えて、謙虚さを引き出し、どうにか修了に持ち込もうとしていますが。
以上、補足説明でした。
追記 (2008/12/09)
このエントリーのブックマークより。確かに私の書き方だととんでもないすごいことをやりそうだ。
Pnnc205j 「最期のショック療法」の中身が気になる・・・
ショック療法の内容は、「彼が相談してくるまで放っておき、『自分が相談にこなかった』結果生じたことについて責任をとらせること」です。今回の場合、修士論文の提出を「提出できるレベルに達していない」ということで差し止める予定です。それで、彼が気がつけば直させて期限遅れで提出させ、気がつかなければ留年という流れです。
幸いにして、彼が教授に相談に来たのでその機会に説得に成功しました。