参加してきました。タイトルだけみるとちょっと上から目線な感じだけど、参加してみた感想から言うと謙虚に「群衆の叡智とは何かを考えて見ましょう」という感じ。セッション1の岡田 正大さんが言っていたことがこのイベントの内容を表していたと思う。
- 「『群衆の叡智とは何か』なんてこのセッションで決める必要はないと思います。みんなの考える『群衆の叡智』はいろいろと違うということが分かって、このセッションがこれからいろいろと議論が始まるタネになればよいと思います。」
- 「聞いている人はフラストレーションがたまったことと思います。でもそれでいいんです。」
聞いていて非常にフラストレーションがたまりました。「俺にもしゃべらせろ!」、帰りに飲んだビールのおかげで自分が言いたかった事忘れちゃったけど。適度に欲求不満を募らせてくれたこのイベントに参加してよかった。
以下、メモと感想
セッション1:「群衆の叡智」とは何なのか?
ショートセッションが2つあった。
お話として面白かった。NECはイノベーションカフェというSNSを社内で立ち上げているとのこと。
社内の情報共有・コミュニケーションをより効率的かつ効果的に行う手段として、社内ブログが注目を浴びています。NECグループでは、「イノベーションカフェ」と名付けた社内SNSを本格展開していますが、これによって組織の壁を越えたコミュニケーションが活性化し、社員のワークスタイルが変化しはじめました。
大企業というのは変わらないものだと勝手に考えていたけれども、変わり続けてきたから大企業になったし、今も生き残っているんだよね。ちなみにIBMの事例がセッション3で紹介されたけれども、この会社は本当に怖すぎる。でかい図体しているくせにこんなに油断なくいろいろと手を尽くそうとしているところは本当に怖い。Microsoftの例も怖かった。
兼元さん曰く
「さまざまな種類の偏見の壁を越えていくためには偏見を持たれる側と持つ側が互いに真摯に質問紙し、真摯に答えていくしかない。だから、Q&Aを行うことを支援するサービスをやるしかないと思った。」
それが、OK Waveをはじめる動機だったとのこと。群衆の叡智の話からすると脱線気味だったように思うが、話として純粋に面白かった。そういう考え方があるのか。
あと面白かった話をメモ
- コミュニティは最初に確立したスタイルが継承される傾向がある
- 知識や論理が必要な質問には専門家しか答えられなけれども、感覚や感情をたずねる質問には誰でも答えられる
- 群衆の叡智というのは「感情や感覚」を集約することじゃないのか?
- (どこぞの会社が研修に)Action Learningを採用していて、この方法では意見があるときには質問しかしてはいけない(うろ覚え。これのことかな?wikipedia:Action Learning)
このセッションで使われていた「群衆の叡智」という言葉は、「複数人が知識を出し合うことで一人で考えた(行った)事柄よりも良いことができること」程度の大雑把な意味で使われていたと思う。
- 専門的知識がない人たちが、複数の選択肢から専門家とほぼ同等、あるいはそれ以上の的確さで最良の選択肢を選び出す
- あるアイデアをαバージョンで公開し、複数人と議論しつつより良いアイデアにしていき、結果として一人で考えたよりもよいものとする
- ピラミッド型の組織において、トップダウンで物事を進めるのではなく、意見提案、集約がフラットに行われ、それが組織の運営方針として採用される
- 誰かが質問し、複数人が答えて知識が蓄積していく
これらの事例がすべて「群衆の叡智」という言葉でくくられていたので気持ち悪くてクネクネしたかった。
私の意見では、「群衆の叡智」として語られていることを分類して考えないとごちゃごちゃ過ぎて何も分からないと思う。すくなくとも以下の事柄はそれぞれ別々に考えるべきだと思う。
- 複数の選択肢の中から最良の選択肢を選ぶというとき、専門的知識がない複数人の意見を集約したものが専門家の意見よりも良いことがある
- 牛の体重推定、沈没船や金脈のある位置の推定、予測市場など
- 複数人(異なる立場同士)で意見交換をすることで、一人(ある立場の人たち)だけでは思いつかなかったような意見や考えが場に生まれることがある
- ブレーンストーミング、SNSやブログを用いたアイデアのブラッシュアップ、プロトタイプ開発など
- 複数人が自分が自分が答えられる(実行できる)事柄だけを答えていく(実行していく)ことで、知識ベース(ソフトウェア、イベント、ハードウェア)が構成されることがある
「集合知」=「感情・感覚の集約」という意見があったがそれには賛同しない。「みんなの意見は案外正しい」に乗っていた例は、専門家でない人たちがその人たちなりの理論で推定した結果を集約したら専門家の推定結果よりも良い結果になったのであって、感情・感覚で選んだ結果を集約したわけではない。
セッション2:「オープンソースソフトウェア」は群衆の叡智か?
バザールモデルは、複数の自立的な個人、あるいは組織の協調でソフトウェアを作り上げていくモデルなので「群衆が叡智を結集して仕上げる」→「群衆の叡智」という理屈だと思うが、この点についてはセッション1で感じたのと同じ感想でクネクネ。
まず、ショートセッションが2つ
- PostgreSQLの開発の仕方(石井さん)
- Firefoxに至る歴史とFirefoxが普及した理由(瀧田さん)
しかし、それを除けばこのセッションはすごく面白かった。今現在オープンソースソフトウェアを開発している(マネージメントしている)人たちからいろいろな話を聞けたのは得がたい経験だった。「有限責任中間法人」という法人種類が世の中に存在するというのも初めて知って得した気分。
メモ
- PostgreSQLのコミットは「技術的に妥当かどうか」という点のみでプロポーザルとパッチが判断されるので、議論が最終的に収束できている
- 一方、「Postgres」と「PostgreSQL」の名前のどちらが良いかという議論は収束するルールがはっきりしていないので議論が発散してしまった
- Webアプリケーションを開発を発注した場合、納入後にセキュリティホールが発覚した場合誰がそれを塞ぐのか?
- オープンソースソフトウェアを用いたシステムを発注した場合、納入後にオープンソースソフトウェアにバグやセキュリティホールが見つかった場合、誰が責任をもってそれを直すのか?
- 自治体がソフトウェアを発注する規則として、5年後もそのソフトウェアが提供されているという保証がないと発注をかけられないと決めた場合、現在この条件を満足できるのはMicrosoftだけだ
- オープンソースソフトウェアの開発者に5年後もソフトウェアをメンテナンスしていることを保証させることはできない
生の高木さんを見れて嬉しかった。ブログと違って穏やかな話しっぷりだった。瀧田さんのしゃべり方が若すぎてびっくり(しゃべっている中身はさすがの内容)。20歳前後の若者のしゃべり方だ。司会の伊藤さんのまとめがわかりやすかった。あのスライド欲しい。
セッション3:未来予測?予測市場のポテンシャル
小飼さんがバキバキ話折るから何が何のことやら。ディスカッション形式にして、「群衆の叡智」懐疑派(小飼さん) VS 「群衆の叡智」肯定派(2名ぐらい)で
- 主張開陳(双方10分ずつ)
- 反論(双方10分ずつ)
- 反論への回答(10分ずつ)
- 観衆によるモデレート(どちらがよかったかを多数決で。5分)
- 司会者のまとめ(5分)
とやったほうが何を議論していたのかがわかったのではないかと。
ショートセッションが二つ
IBMは本当に怖い。その徹底ぶりはすさまじい。さすがは一度歴史のかなたに消えかけた会社。大企業は慢心したり、イノベーションのジレンマに陥ってつぶれてくれると後続に優しいのに、さっぱり慢心する気配がない。素晴らしい。
「Innovation Jam」開催
67社のお客様企業を含む、104カ国、15万人以上の参加者を集めて、7月と9月に「イノベーション・ジャム」開催しました。72時間にわたる2回のセッションで4万6,000件以上のアイデアが提出され、11月にはこれらのアイデアから選ばれた10種類の新ビジネスを推進するため、今後2年間で1億ドルを投資していくことを発表しました。また12月には、今後5年間に人々の働き方や生き方、遊び方を一変させる可能性を持った5つのイノベーションを「IBM Next Five in Five」としてまとめました。
小飼さんが
「叡智はプライスレスにしておくべきなのに、プライスをつけて叡智を使いにくく(行動に移しにくく)していく動きがあるのはどうしてかを知りたい」
とおっしゃっていたが、これが何の話なのかさっぱりわからんかった。もっと詳しく知りたい。
ほげぇーっと思ったのは
「これまでの人類の叡智に値段をつけるとしたらいくらになるでしょうか?」
「答えは0円です。叡智はアイデア・考えであり、行動にうつされない限り価値がないのです」
というもの。
私のうけた印象では
「一番、おいしい料理は何でしょう。」
「答えは『塩』です。塩がなければどのような料理も食べれたものではありません」
というような発言と一緒(上記、発言は徳川家康の愛妾、お梶の方が言ったもの)。
以下メモ
- 予測市場に向かない事柄は「人が興味を持たない事柄」。予測市場は真剣に多くの取引が行われないならば良い結果を期待することはできない
- そもそも誰も提示していない事柄については予測市場で扱うことができない
- 予測市場の一つの利点は、あるルールで意思決定が行われている組織に、予測市場を導入することで別のルールによる意思決定方法を導入できることだ
- 群衆の叡智(複数選択肢から最良選択肢を選ぶ)はリスク(不確実さ)を最小化することに威力を発揮するのではないか
- 現在、群衆の叡智が騒がれ始めた背景には、物理的にどこかへ集まることなく、意見の集約ができるようになったことに由来しているのだと思う。なぜならば、物理的にどこかへ集まることで衆愚化する条件がそろってしまうことがあるが、分散してそれぞれが意見を述べる場合にはそれを避けることができる
生dankogaiと生山口さんを見れて嬉しかった。dankogaiと江川達也の正面から見たビジュアルと声としゃべり方が私の中で区別がつかず困った。欧米人が日本人の区別をつけられないのと同様、私はひげ持ち人の区別がつけられないみたいだ。
感想&提案
主催者の方、パネラーのみなさまお疲れ様でした。楽しかったです。次回もやってください、参加します。
次回までに、
- どんな現象・事例が「群衆の叡智」の事例といえるか?
- どんな現象・事例が「群衆の叡智」の事例でないといえるか?
をどこかのWikiや掲示板やMixiのコミュニティに判断なしで列挙、集積してもらい、次回のサミットで集計CGIを使いつつ、リアルタイムに会場の参加者全員で判断してはいかがでしょう。パネラーは、その結果を肴におしゃべりするという感じで。「どんな現象・事例が『群衆の叡智』の事例といえるか」「どんな現象・事例が『群衆の叡智』の事例でないといえるか」の分類が終わったら、それから帰納的に考えて
- 「群衆の叡智」とは何か?
- 「群衆の叡智」とは何でないか?
を議論できたら面白いと思います。