斉藤章佳: 男が痴漢になる理由

読み終わってちょっと凹んだ。自分の中の見たくない面を見させられた感がある。女性専用車両に批判的な目で見ていたけど、存在してしょうがないかなぁと考えが変わった。

男が痴漢になる理由

男が痴漢になる理由

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この本の白眉は、痴漢は依存症の特徴を満たしているとした上で、でも、被害者を生む加害行為であるということを絶対に忘れていない点だと思う。Kindle版なのでページ数がないのだけど、「犯罪化する性嗜好障害には専門の治療が必要」という節より

アルコールや薬物、ギャンブルなどに耽溺した人間は、それらを前にしたとき、とても無力です。自分が対象となるものを支配していると思っていたのに、その実、知らないうちに自分の方が支配されていた… この「自分の力ではどうにもならなさ」がコントロール喪失であり、その無力感を認めるところから、回復への道のりがはじまります。

しかし痴漢を含む性暴力には、被害者がいます。「コントロールでできない」「無力である」と認められてしまうと、加害行為の責任を放棄していいという世界観につながりかねません。被害者がその背景に必ずいるため、性暴力については「自分の無力を認めることで回復が始まるわけではない」という発想の転換が必要です。

「痴漢行為を過度に『病気』扱いしてはならない」という節より

「痴漢は性依存症という病気である」

このことが社会的にもっと知られるようになり、ひとりでも多くの痴漢行為に耽溺している者、夫や息子が逮捕されて再犯を恐れる家族に届いてほしいと願います。が、その反面で、このフレーズの取り扱いには十分注意が必要であることも忘れてはなりません。

病気、というと痴漢本人に「だったら、やってしまうのは仕方ない」「自分が悪いのではなく病気が悪い」「病気だから、繰り返してしまうのだ」という発想を植え付けかねないからです。

それは自らが犯した行為の責任から目をそむけていることにほかなりませんし、被害者からすれば加害者が病気だったからといって受けた傷が軽くなることはありません。プラスのスティグマ(烙印)というべきものを、加害行為をした人間が引き受けるのは非常に無責任かつ危険なことです。病気だとみなすことを「病理化」といいますが、過剰な病理化は加害者の責任性を隠蔽する機能を持っていることを、常に大前提にしておく必要があります。

第4章の「やめたくても、やめられない」のところにでてくるアクセスが容易なアダルトコンテンツについての意見は現場の立場からするとそうなんだろうなぁと思わされる。ただ、「強姦や強制わいせつの容疑で逮捕された553人のうち33.5%が『AVを観て自分も同じことをしてみたかった』」と回答したというエピソードから「『現実は現実、ファンタジーはファンタジー』と区別がついていると言い切ることが難しいパーセンテージではないでしょうか。」というつなげるのは、そうでない男性に同じ質問をしてパーセンテージ見ないとなんとも言えないのではないかと思った。一方で、そのように感じることがあるという事自体が、偶然が重なれば痴漢行為につながるというのであれば、まさに男性であることの原罪という感じがする。

依存症からの回復(依存をやめ続ける)や依存症になるのを回避するキーワードとして、この本に登場するのがコーピング。大学自体にコーピングをたくさん身につけておくのは重要だと思った(本の中では依存症の人は傾向としてコーピングのバリエーションが少ないということが述べられている。)
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私はストレスがかかったり、自分に自信が持てないようなときに「なんかしらんけど、相手が私に手を出してきたのを叩きのめして『俺つえぇー』」という妄想をしていることがある。もう、アラフォーなのに中2病全開の妄想でアレなのだけど。この妄想をしているのに気づいたら「ああ、今、私は傷ついている/疲れているんだな」と認識するのだけど、これは上のリンクでいう「認知的コーピング」というやつなのね。とまれ。

痴漢、セクハラ、依存症、ストレスへの対処などいろいろと知ったり、考えたりするのに大変よい1冊だった。ただ、男性だと私みたいに憂鬱な気分になったり、怒りを覚えたりするかもしれない。体調整えて読んだほうが良い。

あと、痴漢は性的暴力を振るった相手の女性だけでなく、母親や妻へも加害しているのと同じだということを7章「離婚しない妻、自分を責める母ー加害者家族への支援」を読むと切実に理解できる。