特集:世界の餃子とその仲間, Vesta, No. 83, 2011 夏号

数日前にはてなブックマークホッテントリーでみたユーラシア大陸は餃子でつながっている! 中国からヒマラヤを越えてトルコ、ヨーロッパまでご当地「餃子」の旅を読んで、「何で中国の周辺国では餃子のことを饅頭と呼ぶのだろう?」と疑問に思い、CiNiiで「餃子 歴史」で検索したところ、(財)味の素 職の文化センターというところが出している雑誌Vesta (ヴェスタ) 2011年 08月号で「世界の餃子とその仲間」という特集が組まれていることを知り、購入した。

まず、衝撃を受けたのがロシア地方の餃子型料理はサワークリームやバターなどで食べるという点。まあ、グラタンとかの小麦麺の料理は乳製品と合わせるから別にふつうなんだけど、餃子という認識で考えると「えっ?」と思ってしまう。たぶん、食べたらすごくおいしい。

上記特集の「石毛 直道:餃子ロードをさぐる」によると小麦をパン状に焼いて食べる方法はユーラシア大陸の西側で生まれたとのこと、それが中国の前漢時代に東側に伝わり、煮たり、蒸したりした食べ方(麺)が生まれ、シルクロードを通って西に再輸出されたとのこと。そのときに、餃子も輸出されたのではないかというお話。そもそも、麺って中国生まれなのかよ!という驚き。今度、著者の本を読んでみたい(石毛直道:麺の文化史)。止まれ。

餃子に話を戻すと、現在の中国では餃子(小麦粉を練った発酵していない生地で具を包んだ料理)、饅頭(小麦粉を練った発酵した生地を蒸したもの、具なし)、包子(小麦粉を練った発酵した生地を蒸したもの、具あり)と区別されているが、さかのぼるとこれらは全部区別されていなかったとのこと(今でも一部地方では餃子を包子と呼ぶ)。なので、区別されない時代に広まったので饅頭系の名称で広まったのだろうということ(モンゴルは包子に由来する名称みたい)。

ロシアのペリメニに関してはアジアの方から来たのではないかと言われているらしい。このことから、石毛さんはモンゴル帝国の支配地域で餃子が拡散したのではないかと予想しているが証拠がないので今後の研究がまたれるとのこと。イタリアのラヴィオリやインドのサモサは独自発達の可能性があるとのこと。

「小麦粉を練った発酵していない生地で具を包んだ料理」を餃子と呼ぶならワンタンはどうなるんだよ?という疑問に関しては、次の著者の「張競:資料のはざまに隠されたものをたずねて ― 餃子の歴史について」で、南宋の本にでてくる唐時代の詩人が書いた「餛飩」の作り方を読むと「餛飩」が餃子(とワンタン)の祖にあたるのではないかとしている。今は「餛飩」はワンタンを意味するのだけど、料理法からすると水餃子なので、唐時代は餃子は「餛飩」と呼ばれていたのではないかとの話(唐時代に餃子があったのはトルファンの餃子の化石の発見でわかっている)。ひとつ前の文の石毛さんも餃子の古い名称は「餛飩」としている。そもそも、饅頭ですらなかった。

以降の記事は各国の餃子風料理について以下の通り。

  • 斎藤 美代子:家族の味 バンシ(モンゴル)
  • 守屋 亜記子:韓国マンドゥ七変化(韓国)
  • 鈴木 薫: マントゥ―トルコ・ギョウザとその背景(トルコ)
  • 三浦 良子:歴史をつつむロシア風餃子ペリメニ(ロシア)
  • 中山エツコ:ラヴィオリとその仲間たち(イタリア)
  • 編集部:日本の餃子ー普及と定着(日本)

最後の記事によると明治時代では日本でも餃子を「肉まんじゅう」と読んでいた時期があるらしい。このころは「肉まんじゅう」が今の「肉まん」と「餃子」の両方を表す名称だったとのこと。その後、満州国でのこの料理の呼称が「餃子」ということで餃子になった様子。一つ目の記事によると山東省出身者が満州国に多かったとのこと(餃子の本場は山東省)、そして、最後の記事では山東省でのこの料理の呼び名がぎょうざに似た名称だったと紹介されている。

中国で餃子が存在したのが遅くとも唐からなので7世紀、モンゴル帝国の元朝が13世紀〜14世紀。イタリアでラヴィオリの名称が文献に現れるのが12世紀で、13世紀にジェノバを中心に広まったとのこと。そして、ロシアでペリメニが生まれたのが14世紀末から15世紀初めのウラル地方から。こう考えると、餃子がモンゴル帝国経由で東から西へと伝わったのではないかという想像はしやすい。買った分は楽しめた。

東京なら「世界の餃子めぐり」として、西のラヴィオリから北経路(東ヨーロッパ、ロシア、中央アジア、中国)、南経路(トルコ、中東、インド、東南アジア、中国)、そして、韓国、日本と食べ歩きできるコースを組めると思うので、東京オリンピックに合わせて、誰か開拓してほしい。そして、私に教えてほしい。