語り継ぎはいつまでするべきなのだろう

災害は終わりなく続き、痛ましい出来事はどんどんと増えていく。戦争を含む人災も歴史上何度も繰り返したような人災から、まったく新しい人災までどんどんと積み重なっていき、痛ましい出来事はどんどんと増えていく。

痛ましい出来事を繰り返さないために、その痛ましい体験やそれから学ぶことができた知見を後世に伝承していくのはとても重要だし、これらの伝承があるからこそ、我々の社会はちょっとずつ誤りを繰り返さない仕組みを作り上げていっているのだと思う。そして、その痛ましい出来事を体験した当事者だからこそ、それを語り継がなければいけないという使命感と自分しか語ることができないという責任感があるのだろうと思う。

ただ、痛ましい出来事はどんどんと増えていくなか、直接体験した人も亡くなり、その出来事が祖父や祖母の物語から、ご先祖さまの物語になりつつあるとき、われわれの社会はその痛ましい出来事をいつまで語り継ぐべきなのだろう。

以前、歴史コミュニケーション研究会で空襲体験の伝承を行っている方に社会的意義を質問し、その答えに納得はしたのだけど、saveMLAK報告会2013 〜社会教育・文化施設の救援・復興支援〜にて、東日本大震災に由来する痛ましい出来事を語り継ぐ人たちがいるのを知り、そんなにたくさんの痛ましい出来事を受け入れるのは難しいと正直感じた。

痛ましい出来事を繰り返さないための知見を理解するための前段階には痛ましい出来事を追体験しないといけない。たくさんの知見を得るためには、たくさんの痛ましい出来事を追体験しないといけない。痛ましい出来事は基本的に追体験するのも痛ましい。