形ある謝意・反省を受け取るのは難しい

謝意を他人が見える形で表すのは難しい。そういう意味で土下座や丸刈りにするというのは二者間のやりとりにおいてはうまい表現方法。でも、集団の運営にとっては悪影響も強いと思う。これを謝意の形として受け入れてしまうと、それを見ている集団内の第三者にとってそれが相場観となる。以後、この相場観に従って謝意を相手に見える形で表すのが普通になり、より強く謝意を表したい場合に相場よりも高い表現方法をとるということになる。つまり、過激化する。自分で自分を痛めつけることによる謝意の表現をどこまで受け入れるのか?こんな方法で謝意を表す集団の異質度はすごいことになる。

個人的には、こういう形での謝罪を受けいれてしまうと、長期的にその集団は毒を飲むのと等しくなるのではないかと思う。謝罪する側される側にとって、気持ちの良いやり方ではないけど、コツコツと時間をかけて信頼を構築していく過程を持って謝罪とする方が結局は集団の規律は守られると思う。