「やりたいこと」が探せないなら「それをやろうとしたときに吐き気がこないこと」を探せ

はてな匿名ダイアリーダメ修士課程学生の研究テーマ決定に対して一年前は「新規性」に着目して以下のエントリーを書いた。

で、再び、はてな匿名ダイアリーダメ修士課程学生の研究テーマ決定を読んでみて、卒業論文修士論文における「やりたいことをやりなさい」という助言についてちょっとコメントしたくなった。

指導教員はやりたい事をやりなさいという。色々読んで自分の興味に近くて自分でも出来そうなことを考えて報告してみた。そんなことはとっくにやり尽くされていると言われた。そんなことの繰り返しで半年以上gdgdやっている。
はてな匿名ダイアリーダメ修士課程学生の研究テーマ決定より)

上記の部分に対するアンサーエントリー

「指導教員はやりたい事をやりなさいという」ものだが(私も言う)、これは「やりたい事」がテーマ決定の鍵になるというのではなく、テーマにすべきことはそこら中にあるので、とりあえず最初の手がかりとして「やりたい事」から始めてみたら?という意味だと考えるべきである。だから、仮に「やりたい事」が「とっくにやり尽くされてい」た場合には、残念ながらそれはテーマにはならない。テーマになるかならないかは、先行研究を書いた先人が決めることであって、自分が決めることではないからだ。

確かにそのとおり。あとは、「やりたいことをやりなさい」と言われたときに「やりたいことは特にありません」という返答をする学生がいる。そういう学生に私が聴き直すのは「では、自分がそれをやろうとしたときに吐きそうになったり、憂鬱にならないことは何?」と尋ね直す。

卒業研究や修士研究はなんだかんだいって、簡単ではない。だから、自分がそれをやろうとしたときに吐きそうになったり、憂鬱になることを題材にするとやり遂げられない。なので、多くの教員が「やりたいことをやりなさい」と言う。でも、本当にやりたいことは、遊びだったり、彼氏・彼女をつくることだったり、旅行にいくことだったりして、研究ではないことがほとんど。だから、「やりたいこと」はわからないというのは良く分かる。

なので、やりたいことが思いつかないならば、自分がそれをやろうとしたときに吐きそうになったり、憂鬱にならないことを探して、それをやればよい。多くの場合、「それ」は研究の道具になるのだけど、たとえば、プログラミングはやだ。行列式はやだ。単純作業はやだ。自分で全部考えなければいけないのはやだ。などなど。

吐きそうになったり、憂鬱にならないことならば、大体の場合、やればそれなりに面白みを感じるようになるはず。いろいろな習い事を思い出してみて。

追記

卒業研究・修士研究の中盤から後半にかけて「今やっているのは自分のやりたいことじゃない。やりたいことじゃないのに続けるのは良いのだろうか?」と非常に悩む学生がいる。

私の回答は「苦痛でなくできるのならば、続けてやったほうが良い」。「やりたいことをやらないと価値がない」という考え方もあるけれども、どのようなテーマでも卒業研究や修士研究を通して学べることがあるので、まずはそれを学んで、自分がやりたいことをやれる機会を得た時に学んだことを生かせばよいと思う。